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小さな温泉街で変わりゆくものと変わらないもの、家族代々受け継がれている湯治の宿、湯本館


湯本館の前にて

プロフィール

岡田 作太夫さん(おかだ さだお)
昭和40年4月4日生まれ。生まれも育ちも湯宿。みなかみ町が合併する以前の新治(にいはる)村の時から暮らしている。湯本館の社長で、経営、経理、フロント、接客をしている。


先祖代々受け継がれる源泉と、円熟味を増す館

湯本館の外観

湯宿温泉街の路地に入ると、木々に囲まれひっそりとたたずむ旅館、「湯本館」があります。旅館に入ると、赤いカーペットと昭和を感じる渋いロビーがお出迎え。何かまばゆい装飾があるわけはありませんが、なんだかワクワクしてくる、ディープな雰囲気がある旅館です。湯本館の売りは、なんと言っても、源泉から湧き出る61〜63度の熱い温泉で、多くの温泉ファンを魅了しています。

湯本館の入り口

そんな歴史ある湯本館を経営し、湯宿温泉をずっと見守っている岡田さんに、湯宿への想いや、地域の変化、移住者が少しずつ増えている現状など、についてお話しを伺いました。

館内の様子

湯本館は、岡田さんの家系が先祖代々受け継いできた旅館。現社長の岡田さんは、学生の頃から旅館を手伝っていました。当時は、夜10時に旅館の締め作業をし、翌朝の早朝に東京の大学へ通学するという、多忙な学生生活を送っていたそうです。

それほど長く湯本館で働き続けている原動力は、何なのかを伺うと、「家族代々受け継いでいる宿だから、しょうがないという気持ちで働いている」と、意外にも少し悲観的な返事でした。
今回のインタビューでは、湯宿温泉についても岡田さんの口からは直接良い言葉はもらえませんでした。ですが、湯宿の歴史や今後の湯宿の展望については、生粋の“湯宿人”ならではの視点で語ってもらい、今後の湯宿を見る上で貴重な意見を聞けました。


戦国武将から漫画家まで惚れ込む、湯宿の地

インタビューの様子①

湯宿温泉について、岡田さん自身は、あまり関心のないように話していましたが、湯宿の“歴史”の話題になると少し表情が優しくなった岡田さん。昔の湯宿温泉の貴重な写真をまとめたアルバムを、わざわざ奥から取り出し、当時のことを話してくれました。写真は、白黒写真で少し黄ばんでいますが、その歴史の深さを物語っているように感じます。

貴重なアルバム

さかのぼること戦国時代。初代沼田城主の武将、真田信之(真田幸村の兄)が関ヶ原の合戦の疲れを癒すために、湯宿の温泉につかったそうです。湯宿の温泉を愛した真田信之は、なんと93歳まで生きたと伝えられています。
他にも湯宿温泉は、漫画家・つげ義春の描いた「ゲンセンカン主人」の舞台にもなっています。(この漫画では、湯宿温泉を “死んだように静かな温泉町”として描写。温泉街であるのにあまりにも悲しい表現ですが、同時になんだか親しみを感じる、落ち着く場所でもあるとも描かれています。)

真田と湯宿のつながりが記されている

アルバムには、昔の湯本館の写真もありました。当時は2階建ての旅館で、岡田さんが生まれた、昭和40年頃に建て替えをしたそうです。また、湯宿温泉近くにある赤谷湖は、赤谷ダムの建設前は「湯島温泉」と呼ばれる場所で、民家や学校もあったそう。今では、そのような面影もないので驚きです。岡田さんは、子供の頃、そんな湯島温泉に流れる川辺で、石を並べてプールを作って遊んでいたと、懐かしい話もしてくれました。

昔の湯本館の写真

新しい人の波と、受け継がれる地域の物語

インタビュー風景②

今、湯宿エリアでは移住者が少しずつ増えてきている。その現状について、岡田さんは、次のように話します。

「湯宿は(外から来た人にとって)一見豊かそうな地域に見えるかもしれない。でも、こどもを育てても出て行ってしまうし、仕事も住む所もない場所。そんな土地でも移住者が色々としてくれて有難いと思いつつ、昔から住んでいる人たちがいじわるしなければいいなと思う。」 

岡田さんがそう語るのは、過去に移住者が住みにくい時代があったからだそう。共同浴場のある湯宿に住む人は、ガスも基本料金しか使わず、壁や床に防寒対策もせずに暮らすのが当たり前でした。昔はそんな暮らし方に馴染めない “ヨソモノ” はいじめられ、すぐに出て行ってしまったそうです。今では、そんな時代があったとは思えないほど、湯宿には、ヨソモノを受け入れてくる雰囲気があります。
「昔の考えの人たちが死に絶えた。湯宿温泉街が栄えていた時期もあったが、今は通りを誰も歩いていない。そんな状況になっても気づかない、このままでいいんだと言う人がいなくなった。」と、段々と湯宿が変わっていると岡田さんも実感しているそうです。
「昔の盛り上がっていた時期に戻って欲しいですか?」と伺うと、

「そんなことはない、お祭りで賑わっていた時期に戻って、また住民からお金を巻き上げるような時代には戻ってほしくない。来た人たちが来た人たちなりに生きやすくしてほしい。大阪に旅行した際、寂れた商店街に移住者が始めた小洒落た小さな店が増えており、周りの住民たちが利用していた。だが、そもそも人口の数が全然違うので、湯宿で同じことはできないと思う。過疎(地域)は過疎なりにやっていくしかない」

岡田さんは、これから地域は変わる必要があると話す反面、変わっていってしまう寂しさも、次のように話してくれました。

「湯宿温泉の路地裏の雰囲気によって作られた地域の物語がある。ただ明るくする(建物の改装、更地にするなど)と、その物語が語られなくなってしまう。」

岡田さん

インタビューを通して「しょうがない、仕方なくここ(湯宿)にいる」という言葉が多かった岡田さんですが、湯宿周辺の歴史の話をしている時は、生き生きとしているように見えました。岡田さんご本人が選んだ生き方ではないかもしれませんが、なんだかんだ湯宿に愛着があるのではないかと思います。そして、無理に地域を「こんなに良いところだ!」と担ぎ上げず、かと言って移住者を邪険にせず、見守ってくれるような距離感が、このなんだか落ち着く環境を作り出しているのではないでしょうか。
湯宿は変わらなくてはいけないと思いつつ、昔からあるものがなくなるのは「町の物語」がなくなってしまうと聞き、ただ新しいものを取り入れたり、人を増やしたりすることが町のためになるとは限らないと、岡田さんの話から気づかされました。


湯本館の誇る、湯宿の源泉

湯本館の源泉①

湯本館は湯宿温泉の源泉をもつ、もっとも由緒深い宿です。

中庭に出ると、実際に源泉を見ることができ、まるでパワースポットのような神秘さを感じることができます。

湯宿の歴史を語る上で外せないこの場所は、人々の体を癒すだけではなく、地域の発展を祈る場でもあったとか。

湯本館の源泉②

記事を読んでくれた方へのメッセージ

「よろしかったら湯本館に来てください。運が悪いと地域のいじわるじいさんばあさんがいるかもしれませんが(笑)。」


お店体験レポ!

湯本館の温泉①

今回は、湯本館自慢の温泉につからせてもらいました。かの戦国武将、真田信之も惚れた源泉かけ流し温泉。
湯本館は源泉から湧き出る、61~63度の熱い温泉が特徴です。館内に温泉は3つあり、大浴場、婦人風呂、貸切風呂があります。大浴場は、今では珍しい混浴で、昔のままの状態で受け継がれています。

私は婦人風呂に入りました。浴室の扉を開けると硫黄の香りがふわっと鼻を通り抜ける。みなかみ町の日帰り温泉はいくつか利用しましたが、こんなに温泉の匂いがする所はなかったので驚き。私が入った時間は、昼間だったので他にお客さんはおらず、貸し切り状態でした。ただ温泉は…熱すぎて入れませんでした。入ってすぐ蛇口を捻り、10分以上加水しましたが、それでも熱かったです。残念ながら手と足首しか入れませんでした。私の後から来たお客さんも、これは熱すぎて入れないと笑っていました。ゆっくり入ることはできませんでしたが、お湯につかった部分は肌がスベスベになっていました! 入っていない所と何となく境目がわかるぐらい違いがあったので、またリベンジしたいです。

湯本館の温泉②

湯本館の口コミでも温泉は評判で、実際連泊したことがある知人も、「最初は熱くて入れなかったが、だんだんと癖になる」と話していました。

岡田さんによると、「長湯しない、さっと入って出る」のがいいそう。地元の人でも長湯しないと聞いた時は「そうだよな」と、少し安心しました。この熱い温泉のおかげで、昔から住んでいる人は真冬でもあまり暖房を使わず過ごしていたそうです。


湯宿温泉 湯本館

部屋の様子

部屋数:15部屋(最大50名収容)
チェックイン:13:00
チェックアウト:10:00
日帰り温泉:大人…600円、小中学生…300円、幼児…無料
駐車場:無料


この記事を書いたライター紹介!

元井夏海

1998年神奈川県川崎市生まれ。2022年の秋に単身でみなかみ町へ移住。みなかみ町の人の雰囲気がよかったことと、利根川の水が冷たく透き通っていたことに感動し、移住を決めました。

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