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冷めた/冷められた 

2021年 お蔵入り記事
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カツカレーの写真って人を幸せにするなって思って上の写真を選びました
カツカレーっていいですよね、カレーだけじゃちょっとさみしいけど、カツ丼よりはスパイシーなパンチがほしいときにあまりにピッタリで。うちの大学のカツカレー、もりもりにごはんを盛ってくれるのに320円つてとてつもなく良心的だと思いませんか 野球部男子学生はもれなくみんな食べてますけどひょろひょろ金欠女子学生も食べてます主に私のことですが

私は熱々の食べ物がすごく苦手、熱さに感覚全てを奪われて味も匂いも全てわからなくなってしまうからおいしいがどっか行っちゃって。煮込みうどんとかカレーとか、熱々だからおいしいんじゃん!って声は右から左に流して、いつでもぬるめにしてから口に運ぶのが常。カップラーメンとかは水入れます。
ぬるいっていいよ、ぬるいから。
熱いも冷たいもない、中庸のそれ。

人間関係もぬるくなってきてからが本番みたいなとこある。
熱々のうちはきっとなにも見えてはいないんです、熱いから外からの声も溶けてしまうし。本質はすべて温度に隠されてしまうけど、それはそれで盲目的でまあいいんじゃない。そういう時期にしかない楽しさってあるもんねわかります

人間関係において「冷める」が使われるのって恋愛関係だけな気がしますがどうなんでしょう、わかりませんね、家族にも冷めるとかってあるんでしょうか。なさそうですね、家族は生まれた時から熱されることなくずっとぬるま湯みたいな温度で私のなかに存在し続けているし。友達もそう、よっぽどのことがなければ関係を断つことなんてないし断ち切ったこともない。会わなければ20度くらい、会えば80度くらいになってまた次に会うまでにゆるやかにぬるくなる。

それが恋愛になった途端に、いつも60度くらいに保たなくちゃいけないということ、かなり高度な技術を要するって気づきました。保たなくちゃいけないというか、そうしないと満足にコミュニケーションが取れないらしい。一緒に住んでたり頻繁に会えるなら家族と同じでいつもぬるま湯を保っていられるのかもね。でも私は人恋しいって感覚が皆無だからそれはあまり期待できない
人恋しいって言えたらかわいいよなあ
その人恋しささえ自分でどうにか乗りこなせるくらいの強い気持ちを認めてくれる人がいたらありがたいなとは、まあ、思わないでもない

高温を保つのって難しいしめんどくさい、めんどくさいって言っちゃ終わりでしょうと思いつつ、まあ、めんどくさいに蓋をしたって結局いつかはめんどくさいが山積みになって不満やら悲しみやらとして噴出するだけなのが目に見えているよ めんどくさいを隠すために高温である必要があるのかもね、溶かしてしまえばいいわけだから。

学食のカレーって絶妙にぬるい。熱々だったことも冷めていたこともなく、いつも絶対に絶妙にぬるい。だからおいしい、記憶に残らない味。残らないから可もなく不可もない、つまり嫌われない。最高です、ありがたいし好きです。お金に余裕があるとき(めったにないけど)、カツを乗せてもらいます。課金。カツはアツアツサクサクがたぶんおいしいけど、やっぱりぬるい。でも不思議なことに、カツもぬるさが似合ってる。カレーがぬるいから、まあ、そうか。

ぬるく、ゆるく、やわらかく 
そんな人間関係を築けたらと思いつつ、
そうも簡単にはいきません
「器用さは幸いだ しかしそれが全てではない」

将来、850円くらいのちょっとリッチなカツカレーを食べられるくらいには豊かな暮らしができているといいなあと思います 無理そうだったらカレーでいいです、熱いと味がわかりませんからぬるくして食べます 人生もそこそこのぬるさで頑張りたいです

ぬるいって漢字で書くと温い(ぬくい)にもなるからいいね 2022.1.27

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頑張って生きていたね 2024.5.9 瀬戸水葉(^-^)