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23歳 腎臓と珈琲との戦い

おはようこんにちはこんばんは瀬戸水葉です
気づいたら4月も半ばになっていて、桜も散っていて、街の人たちは半袖なんか着ちゃって、毎朝体を温めるために飲んでたあったかミルクも必要なくなりました 

寒くないってだけで圧倒的に生活が楽 ホッカイロ(意外に高い)を貼らなくてもいいし、ストーブも電気毛布もいらないし、コートや上着で厚着になって肩が凝ることもないし、なによりしもやけで歩行困難になることもない、今年も長い冬をよくがんばったね もう二度と冬はごめんだ

この前久しぶりにドトールでかぼちゃのタルト食べた あれって秋の限定ケーキだと思ってたんだけどいつのまにか通年メニューになったんだね(瀬戸が行ったお店だけかもしれない)、ドトールのかぼちゃタルトは二層になってるところが大好き 一緒にお飲み物いかがですかって聞かれるときはだいたいは頼むようにしてる、ほんの一瞬迷うけど、いまこの空間で味わえる幸せを最大限拡大させられるオプションだから。

ケーキにはコーヒーがよく合う。甘いケーキを食べたあとぐっと苦いコーヒーで甘さを流して、またリセットされた状態でケーキを食べる幸せを知ってしまうと、もう甘みのある飲み物なんかに妥協できない。のに!悲しいかなわたくしの貧弱な腎臓はカフェインを上手に処理してはくれず、いつだってルイボスティーが好きですって顔してルイボスティーを頼んできた。

しかし、しかしです
春を迎えてその暖かさに浮かれた休日、私はかぼちゃタルトのお供にブレンドコーヒーを注文したのでした。アルコールと一緒でカフェインにも「体がほしいって叫んでる」瞬間がある。春はやさしくて、やわらかくて、どこかほわっと浮き上がる季節だから、コーヒーみたいにがつんとずしんと苦くて真摯な強さを持つ飲み物を欲するのはそれはそれは自然なこと。季節外れのかぼちゃタルトを目の前に、羽目も外してコーヒー飲んじゃおうって私の中のカフェインリミッターが閾値を突破した。別に悪いことしているわけじゃないのに罪悪感を抱いてしまう、そして誰も悪くない。

かぼちゃタルトは求めた通りの甘さで、コーヒーも願った通りの苦さ。
久しぶりに飲んだコーヒーは本当においしくて、そうそうこの苦さが欲しかったのって思った。でもひとくち飲むごとに喉にひっかかる感じがする。体に染みることなく単に胃に溜まっていく感じがする。しばらく飲まないでいるとこうも体が順応してくれなくなるんだなと思って、味と香りはこんなに素晴らしいのに体に取り入れるものとしてはもう優等生じゃないなと切なくなった。美しい褐色の液体が、香ばしく焙煎された豆の香りが、苦味が、こんなにも好きなのに。

腎臓が病んでいる人にとってカフェインはなかなかの曲者で、私は禁止こそされてはいないもののやっぱり具合がよろしいとは言えなくなる ただでさえ脱水を起こしやすくて体内の水分量の調整機能がバグってるのに、カフェインをぶちこむことでさらにその均衡を崩してしまう コーヒーを久しぶりに飲んだこの日、おいしくて幸せな気持ちでいっぱいなのに、体はその幸福感についてきてはくれず、ドキドキ動悸とふるふる震えと胃の痛みと戦ったのでした コーヒーに罪はない、コーヒーに罪はない、コーヒーに罪はない、コーヒーに罪はない…

あとで少々つらくなるとわかっていてもやっぱりコーヒーを飲みたくて飲むとき、私はいつも勇敢で横暴で自信過剰 そんな自分も嫌いじゃないし、そのとき幸せだったんだからそれでいいじゃんむしろ正解って思ってる

コーヒーと仲良くしたい、腎臓とも仲良くしたい、あれもこれもって欲張り
自分の(デカフェという選択肢をあえて無視してカフェインを迎え入れる)無謀さを、人生のいろいろな局面に生かしていきたいとうまいこと丸められるくらいには、私だって都合よく解釈することができるようになった 飲んだって後悔するし飲まなくったって後悔するんだから、それならその一瞬の満足感に重きを置いたっていいじゃんね

健康に生きることって大切 でも無理はしたくない

できるときに、できることを、できる範囲で頑張っていけばいい、常軌なんて逸するためにある

みんなもそうしてね
健康でいてね、特にこころ、健やかにね

瀬戸水葉