振り返りと期待 ~ほしたまとして、通行人Hとして~

ツイッターに載せるだけだと、タイムライン上でどんどん流れてしまうので、自分でも見返せるようここに記載。
※普段はツイッターで活動しているため、こちらでコメント等いただいても返答しないことをご容赦ください。


▼賽銭と報告
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2022年01月02日(日)
私ほしたま(通行人H)は、近所の氏神様の神社へ新年のお参りに行った。私は新年のお参りでお賽銭はいつも1万円札と決めている。お賽銭が神社の修復費などに充てられるから、来年もここにお参りできるよう一重の思いを添えて1万円札をポチ袋、またはティッシュに包み賽銭箱へ入れる。

家族は賽銭に1万円も使うのやめなさい!もったいない!と言っている。だから三が日は家族とは行かず一人で神社へと行くようにしている。賽銭で5円玉を投げ入れる事が、たった5円だけで抱負や願い事を成就させようという軽率な態度に見えるんだ。まるで身を削る努力もしないで楽に願いが叶えばいい、という心構えが自分は好きじゃない。だから就職してからはずっと1万円札をお賽銭にしている。

神社に参拝してお賽銭投げて、手を合わせて神様へ伝える。参拝待ちの人がちょうど他にいなかったので、少し長く伝えた。
「東京都○○○~~~XX-YY-ZZの【本名】です。2021年はネット上で多くの人を裏で支えてきました。けど支えるばかりで、私なにも得られていない、貰っていない。見返りがほしいんじゃない。けど自分から出ていくばかりで得た物が何もない。それがずっと続いていて辛いんです。仕事も残業ばかりの苦行が多く、時に1日12時間労働していた月もあった。だから今年は、それらが少しでも実ればと願っております。」


▼私にとっての去年2021年について
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正直、2021年は辛かった。ネット上の付き合いも仕事も全部。私がネット上で見ている多くの人がトラブルで崩れたり、精神的に追い込まれていたり、助けを求めていたりした。だから寝る時間も休みの時間も、自分の時間を削ってその人たちを支えるよう裏で努めていた。多くの人を裏で支える時、どれだけ言葉をかけてどれだけ時間を使ったんだろう。

支える一環で多くの人に贈り物を送った。欲しい物リストで、その人たちの活動で必要だと思って、活動が続くよう願い贈ったんだ。【通行人H】この名前をどれだけ使ったんだろう。ツイッターの名前のまま贈ると、あたかも感謝や見返りを直接求めてるみたいに自分が見えて嫌だったから、この二つ名を使っていたんだ。
欲しい物リストを通して 【通行人H】はどれだけ多くの人に贈れたんだろう、そしてどれくらい贈れたんだろう。

そして、年末にはツイッターでタグ【#2021年もあと少しなので引用RTで私の印象や思い出などを語ってください】で多くの人が募集していた。私は出会ってからの思いやその人との思い出、その人の発言や行動から感じた事をnoteに書いて、色々な人にタグの引用RTで送ったんだ。そしたら泣きながら読んでくれた人もいたんだ。
このタグで、どれだけの人に徹夜して書いて思いを送ったんだろう。

――私にとっては、そんな2021年だった。


▼本当は去年ずっと辛かった
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「▼私にとっての去年2021年について」のとおり2021年は多くの辛い状況の人を支えてきた。自分の時間を削って色々な人を裏で支えたり、欲しい物リストから必要としているものを贈ったり、元気づけるため思いをnoteに書いて渡して・・・支えたいと思う人たちにできる限りやったんだ。自分の時間もお金も精神的に支える言葉も。

けど、本当は自分も辛かった。そうやって支援してきて分かったんだ。自分から提供するばかりで、自分は何も貰っていない、自分から出ていくだけだ。見返りが欲しくて支えたり贈ったりしたんじゃない。だけど、時間も身も削ってたくさん消費していたのに、私自身は何も得られていない事が、どんどん辛くなってきたんだ。

支えていた人からは「いつか一緒に遊ぼう」「辛い時は今度は支えるよ」そんな言葉をかけてもらった。けど分かってる、それらは叶わない言葉だって。
辛い時は支えるといっても、私が辛い時は誰も声すらかけてくれなかった。一緒に遊ぶのも、その人が日々の活動や交流関係で時間をさけず物理的に無理だって分かってる。それら言葉を言った時は支えたり遊んだりしたい気持ちがあったんだろう、けど現実にならない言葉、世辞なんだって分かってる。
だから本当はそんな言葉を貰うたびに辛かった。なのに叶わないと分かってるのに、そんな言葉にどこか期待を寄せていた自分が嫌で情けなかった。

損をしたとは思っていない。けど身も時間も削って頑張った分、報われていない。いっぱい与えてきた分、何も貰えてないんだ。辛い時に支援も声かけも無くて辛くて悔しい2021年だった。


▼少しは期待してもいいよね
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参拝後、普段は引かないおみくじを引いた。救いのなかった自分へ、小さな救いでもいいからすがる思いが心の奥にあって、おみくじ引いたんだ。
誰かのために頑張り続けた2021年、ただただそこから変わってほしくて。

画像1

「今までの苦しみ煩いもいつか消え心楽しい時が遠からず来ます」
そっか、神様は見ていてくれたんだ。こんなちっぽけな人を見ていてくれたんだ。そっか・・・。末吉だけど、この言葉が嬉しかった。

――神様、ありがとう。
2022年、少しは実ると期待してもいいよね。去年頑張ったもんね。多くの人を支えて、多くの人に提供して、多くの人に思いを伝えそして心を支えて、きっと身を削って時間を削ってきた分だけ、実るよね。辛くてずっと一人で涙をふくしかなった、そんな去年から変わるよね。


私は「情けは人のためならず、巡り巡って己が為」という言葉が嫌いだった。どんなに時間も身も削って色々な人に尽くし支えてきたけど、何も得ていない、自分のためになんか一度もならなかった。だからこの言葉が嫌いなんだ。
ネット上でも仕事でも今まで多くの人を支えてきた。けどみんな自分が辛い時・困った時だけ私を頼ってきて、私が辛い時・困った時は誰も声かけすらなく、一人で抱え堪えるしかなかった。みんな都合のいい時だけ私を利用するだけだった。ネット上でもどこでも。
去年はそれがより感じて辛かった。表には出さなかったが、ずっとずっと我慢ばかりしてきた。


だから、2022年は少しでも実ると期待するから。去年多くの人を支えてきた事、きっと意味があるんだ、実るんだ、支えてきて良かったと思えるんだって。辛くて苦しい仕事を耐えてやり抜いてきたから、今年は少しは軽くなると思っていいよね。
決して多く交流はしてきていない、だけどその分一人一人との一期一会を大切にしてきたから・・・だから、今年少し期待してもいいよね。

--ほしたま(通行人H)。

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