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クロフネという名の白い馬

クロフネ死去

先週、競馬界に届いた訃報に、多くのファンが大きな悲しみにくれた。

クロフネ、老衰のため23歳で死去。

競馬、競走馬ファンを長くしていると、

こうした訃報を目の当たりにすることは多い。現に私も、これまで沢山、大好きだった競走馬が天国へ旅立っていくのを悲しみつつも見送ってきた。

クロフネとは?

クロフネと聞けば、競馬、競走馬ファンならずとも、テレビやニュースでその姿や名前を目にしたことがある人もいるだろう。

現役成績 10戦6勝。

そのうち重賞では 毎日杯(G3)、武蔵野ステークス(G3)だけでなく、

G1ではNHKマイル、ジャパンカップダートで優勝している。

これだけ聞くとあまりピンとこないかもしれないが、毎日杯(G3),NHKマイル(G1)は芝で行われるレース、

そして、武蔵野ステークス(G3),ジャパンカップダート(G1)はダートコースで行われるレースである。

このクロフネはなんと芝、ダートの両方で勝利をあげただけでなく、重賞で勝利しているというだけでもとてつもない能力を持った馬なのだ。

ちなみに、その重賞勝利のうち

NHKマイルカップ、そしてダート重賞の

武蔵野ステークス、ジャパンカップダートでコンビを組んだ武豊騎手もコメントを寄せている。

そんな武豊騎手が強さに呆れた!?とされていることを証明するべく、クロフネの強さに振れた、島田明宏さんの追悼記事も紹介する。


クロフネは次走、東京ダート2100mのジャパンカップダートでも、早めに動いて先頭に立つ別次元の競馬を見せ、7馬身差で圧勝した。これも従来の記録を1秒3更新する、2分5秒9というレコードだった。

そう、このジャパンカップダート。

競馬評論家の棟広良隆さんもこう記している。


ジャパンCダートでは、東京競馬場では多くの観客がスタンディングオーベーション状態だったと、当時現場にいた友人からは聞いています。芝でもG1勝ちがあり、軽いダートでこの強烈な走破時計。アメリカ・ドバイの砂質でのレースを見ることが出来なかったのが本当に残念でなりません……。合掌。

棟広先生、私、まさにジャパンカップダート当日、夫とスタンディングオベーションの中にはいました!あのレースは本当に、今でも目に焼き付いているのです。

ラストレースとなったジャパンカップダート

私は2001年11月24日。

私は夫と、府中の東京競馬場にいた。

当時は土曜日にジャパンカップダート、

そして日曜日にジャパンカップがあり

その週はジャパンカップウィークとなっていて競馬場も盛り上がっていた。


一番人気クロフネは5枠9番。

クロフネに次ぐ二番人気は7枠14番 ペリエ騎手のリドパレス。

この時の私の本命馬(◎)は、4枠8番、三番人気の

横山典弘騎手とのコンビ、ウイングアローだった。

ウイングアローは前年のジャパンカップダートの優勝馬(当時のコンビは元騎手の岡部幸雄さん)。

6歳馬ではあったが、私なりの予想、そして、前年このレースを制していることは理由として大きかった。

そして、個人的な理由として、私が応援している横山典弘騎手とのコンビでも勝てるのではないか、と期待していたのだ。

忘れられないレースというのは様々ある。

馬券(予想)が当たり、自身も勝利にの喜びに酔いしれるレースも多々あった。

しかし、2001年のジャパンカップダート。

この時のクロフネの走りは圧巻という言葉では言い表せないほど、規格外なものだった。

是非、動画でレースの様子をご覧ください。

3コーナー手前でするするとあがってきたクロフネが、一頭だけ突き抜けて二番手のノボトゥルー、後方グループを全く寄せ付けない。

結果は7馬身差の勝利。

2分5秒9は当時では信じられないコースレコードだった。

まさに白い怪物。

そんなクロフネの勝利を目の当たりにして

観客は、拍手で祝福し、夫と私が観ていた観覧席いつしか文字通りのスタンディングオベーションだった。

強い。圧倒的に強い。

そんな強さを目の当たりにすると

人は純粋に優勝馬、勝利騎手を讃えるのだ。

どう考えてもあの日、私たちのように東京競馬場にいた人たちがみんなクロフネの馬券を買っていたわけでもなかっただろう。

普通なら、馬券を外してしまったおじさまやおばさまたちが悔しさを声に出したり、

がっかりしてその場をすぐに立ち去ったりする。

馬券の当たり外れに関係なく、予想を越える凄まじい圧勝のパフォーマンスに、一人、また一人と温かい拍手を送り、スタンディングオベーションとなる、

そんな温かい光景を夫と私は温かい気持ちで見つめながらクロフネを讃えた。

あのような光景は、なかなか日本ではお目にかかれない。

多くの人たちが言うように、

本当にいいものを見た。

いい経験をした。

もし、あのままクロフネが世界へ挑戦できていたら。

そう思いを馳せたことも多い。

クロフネという白い馬をこれからも忘れることはない。

産駒のこれからの更なる活躍を祈りつつ

また東京競馬場に行ったときには、あのモカソフトが食べたいな、なんて思っている。















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