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ゴールデン街酔夢譚~第二話~

(第一話はこちら)

新宿ゴールデン街をそぞろ歩き、かすかな路地の臭いを含んだ空気を感じながら思い出されるのが、もう何年も会っていない、新人時代世話になった藤堂課長の顔と声というのも因果な話だ。壊れたビデオデッキのごとく脳内に流れていく記憶を今はそのままにして、僕はぐるぐると歩き続ける。

商店街の喫茶店への往訪から、僕の証券営業マン人生は、少しずつ前に進んでいった。

喫茶店の店主から聞いた地場の証券会社につき、そこが提案していそうな商品構成を調べ上げ、自社の商品と比較する。幸いなことに、全国規模の大手証券会社であるだけに、株式やら債権やら、ウチの方が多様な組み合わせができる。

自社の製品が有利になるように提案用のポートフォリオの案をいくつか組んで、いつでも見せられるように準備しておく。その上で、テレアポを試みるのである。

「もしもし、お忙しいところ失礼いたします。西城証券名古屋支店の蟹江と申します」
「何の用です?」
「はい、このたび、銀行預金などと比べて、安定し、かつ高利回りの商品がリリースされましたもので、ぜひ、ご提案させていただきたいと思いまして」
「証券の営業?もう、他でやってもらってるんで、間に合ってます」
「そうですよね、おそらく、この手の話、清洲証券さんからもお聞きかと思うんですが、清洲証券さんよりも長い目で見てお得な商品構成となっておりまして。ほとんどの場合、10年ほどの運用で倍以上の利益でして、ぜひ一度ご提案のお時間をと」

電話の向こうで、少しだけ、空気が変わるのがわかる。

「ふうん、でもまあ、忙しいからまた改めて」
 そう言われたら、こっちのものだ。何しろ≪改めて≫なら営業してもよいということなのだから。
「ありがとうございます。また、かけ直させていただきます」

こうして半年ほどするうちに同期たちと遜色ないほどには契約がとれるようになり、支店内の僕は、清洲証券から個人顧客を奪う第一人者、「清州キラー」となりつつあった。

僕含め新人たちがそれなりに戦力になりつつあった名古屋支店だが、藤堂課長の顔色が日増しに曇っていくのは、僕ら新人の目から見ても明らかだった。定時をとっくに過ぎ、商談の整理をしていた僕と課長だけがオフィスに残っていたある夜のこと。課長はさっきから電話中だ。

「そんなこと言われましても、せっかく新人たちが使い物になってきたところです。まだまだ時間がかかります。いやあ、そりゃ、無理ですよ」

いつもの溌溂とした声とは裏腹に、藤堂課長の声はどこかしら苦渋に満ちている。盗み聞きするつもりは無いが、耳はつい、そちらに向かってしまう。

「いやいや、もちろん、会社の方針があるのはわかっていますよ。しかし、年初計画、全社できっちり立てたじゃないですか。こっちだって、それに従ってやってきたつもりです。各月目標、概ね達成してるじゃないですか。それを急に」

課長は、何度か頷いて話を聞きつつ、言い返す。

「でもですよ、広告予算も人員も増やさない、商品開発も進んでいない中で、営業だけがしゃかりきにやったって、無茶です。一時は無理がききますけど、そんなの長続きしないですよ。いいんですか」

その後、二~三の押し問答を経て、

「わかりました。会社がそのつもりなら、こちらも腹を括ってやります。その代わり、こっちが無茶した分、うちの連中の骨は、そっちで拾ってくださいよ。いいですね。必ずですよ」

押し殺すような課長の声。課長は、そっと受話器を置き、天を仰いだ。「おつかれさまです。お先に失礼します」僕の挨拶が聞こえているのかいないのか、藤堂課長の目は虚空を見据えたままだった。

翌朝の朝礼、昨夜の苦悩がウソのように、課長は声を張り上げた。

「我々の努力が認められて、今回の賞与査定、うちの支店は前年比を上回る評価を与えられた。みんな、誇っていいぞ」

新人含め、喜びが場を満たす。その感触を掴んだ課長は、少し間を取り、さらに言葉を続ける。

「その分、会社の我々への期待がさらに高まることとなった。年初計画の上振れが指示された。ノルマはきつくなるが、今の我々なら不可能な数字ではない。俺もみんなの商談を一件一件サポートしていく。やってやろう」

「はい!」「やるぞ!」「おう!」

誰からともなく声が上がり、オフィスには前向きな空気が溢れた。そんな僕らを満足そうに見つめる藤堂課長の目が一瞬伏せられたのを、僕は今でも忘れることができずにいる。

目標の大幅な上振れは、カンフル剤的な士気の向上をもたらしたが、喉元が過ぎれば、結果的に、名古屋支店を苦境に陥れた。契約を焦るあまり、営業マン同士の顧客のバッティングや、無理な勧誘に伴う顧客からのクレームなどが頻発。そのたびに、調整に奔走する藤堂課長。

そんな課長との、定期的な商談報告の面談のときだった。見込み客や既存客の状況を報告し、さらなる提案や売買ができないか、課長から詰められつつ、アドバイスをもらう。ただでさえ針の筵なのに、最近の課長と話すのは気が重い。

「蟹江、この客、最近売買が動いてないぞ。どういうことだ」
「はい、現在のポートフォリオだと、株や債券は堅調に上がっています。しばらくはこのままでいた方が、お客様にとって最善の運用のはずです」
「お客様にとってはそうかもしれんが、会社にとっては、どうなんだ」

僕は、課長の言ってることがわからず、

「会社にとっても、問題ないと思いますが」

その瞬間、課長が拳を振り上げ、机に叩きつけた。差し向かいの机が震え、そして聞いたことが無い怒声。

「口答えするなっっ」

(第三話へ)

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