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世界は人の数だけある。

人って本当に物の見方が違う。
価値観もふくめ、
思考の仕方も違えば、センスも違うのだから
当たり前なんだけど、
ほんっとーーにほんとっーに
全然違うよって、実感してます。

世界という物質を、
全人類が見ているとします。

でも、ある人は丸いといい、
ある人は固いといい、
ある人は冷たいという。
ある人からすればそれは三角で、
ある人はましゅまろみたいな感触で、
ある人は火傷するほど熱いかもしれない。

それくらいまるで違う。

たとえば、
今度出かけようよーって
誰かに誘われたとするでしょ。

そしたら
「どこ行くの?」
「何するの?」
「いついくの?」
「誰と行くの?誰がくるの?」
「どれくらい時間かかるの?」
「どうやっていくの?」
の、

どれが先に思い浮かぶかというのも
違うんですよ、、
優先順位がちがうから、、


それくらい、人は違う。


あのさあのさ、

有村架純ちゃんが、
元風俗嬢の役をやってる映画、、
なんだっけ、、

あ、ちひろさんだ


これで、
みんな宇宙人だって話をする場面があって、

ほんとそーなんだと思う。

わたしたち、同じように
顔のまんなかに鼻がついてるし、
おしりはふたつに割れてるし、
おんなじ人間ぽく見えるけど、

意識的にはそれぞれ
違う惑星のよくわからない宇宙人だと思うと、

「なんでわからんの?」
「なんでそんなことすんの?」って
苛立つことも減るかもしれませんよ。

この宇宙人はいったい
なんなのかって研究するくらいの
気持ちで人と付き合うと
おもしろいかもしれません。


まぁ、具体的に思ったのがさ、

私の知り合いの子で、
ブランド物が大好きで、
カバンとかトレーナーに80万とか
使ってて。

そうして、古着を着てる人を馬鹿にしているんだけど、

古着着てる人はお金ないから
ブランド物を安く買ってるのではなく、
誰とも被らないデザインや、
古さの味が好きでヴィンテージを買う人が
いるので、、
とりあえずブランド着るみたいな無個性ぽい人は
眼中になかったりする。

もう、お互いほんとに価値観が違う。


車を趣味に持つ人は、
年齢関係なく楽しめる趣味だから、
車はいい趣味というけど、

成功者ほど高級車は買わないと
はっきり言うスピリチュアリストもいる。

それぞれの善が全く違う。



なんかほんと、
いろんな、
様々な物の見方や捉え方がある。


結婚すべきだとか、
国の資格をとっておくとか、
いまだにそう言う価値観もあるし、

私の界隈だと、
美しい生き方をしようだとか
ワクワク仕事をするとか、
波動で引き寄せるとか、
そう言う人もいる。


それぞれが、
同じ世界を
まったく違うメガネで見ていて、
揃える必要もないのだとすごく思う。

だから、そう言う人たちを見ながら、
私のメガネってなんだろう?って
客観的に考えてみたりする。
こういう心の仕組みとか、
意識がなぜ統一しないのかとか
考えなくてもいいようなことを
掘り下げて観察して
考えてしまうメガネをどうやら私はつけている笑


で、書いていて
自分に気付きがあったんで
別の話になるんですが、
ついでに書き留めておくと、

みんな何かを批判してることに
目がついてるな、わたし、と思った笑

ブランドゴテゴテは、安物古着の三流を当然のように批判し見下す。個性派の人たちはある種ブランド名に踊らされる無個性を批判する。
波動が好きな人は3次元で物質的な人を表面的だと内心軽視して、現実主義者は、オカルトを気味悪がる。

で、わたしは、
あなたよくそんな人のこと批判できますねー
って思っているんだな。

みんなそれぞれの価値観で世界を見たって
当たり前じゃないの?!って思いながらも
誰かが誰かを批判することを咎めている。

私がきっと世界に対して批判的だからなんだろうな。

みんなは批判しているのではなく
自分の美学を持っているだけだ。

それなのに、それが、
人を批判していると思っているのは私なわけね。
これがメガネ。
実際に批判はしてる人もいるんだけどw

でも、やっぱり
私が世界を、人を批判しているから、
みんなもそうしているように
見えただけなんだなー。
いやー、自分のタチが悪いところ
目の当たりにしちゃいますね笑

で、わたしも
何か美学を持ってもいいし、
その美学が、何かを批判する原因になっても、
それは他者に向けられたものじゃなく、
自分の世界のなかで、
自分に対しての批判であり、
こだわりなんだということなのだな。

ブランド物、要は世界が認める一流のものを
身に纏って気高く生きたいと思う人は、
そうなりたいのだ。
古着で安く買ったブランド着てるやつと
同じにされたくないっていう批判は、
その誰かじゃなく、
実は自分に向かっていて、
一流の気品のある人間でいたいから
そうじゃない自分は基本嫌だと思ってる
的な話なわけだね。

いや、世界はほんとに投影なんだねー。

ま、その人はかなり普段ケチ族だし、
見栄を張りたいんだろうとおもうけどね。
でも、それも、
他者の目に映る自分へのこだわりなのだし。


私は世界に対して、
「人に理解を、受け入れようよ、」とか
「順応性や柔軟性や、もっと広い器で
いろんな人の個性や価値観があることを
わかろうよ、、
そんなんでジャッジしたり、自分の物差しだけで測るのって浅いんじゃないの」って
思ってしまうから、
これもジャッジなわけで。

私自身が寛容的な人間になりたいのに、
なれない自分を咎めていることが多いはず。


だから、「いや、なんでやねん」って
思ってる自分に気づいて許して
エゴの方を許してあげる必要があるかもね☺️
思っていいよーって笑
「そんなん無理やわー」とか
「嫌いやわー、わからんわー、ありえへん!」
とか、別に思ってもいいんやなぁ。
なんか自分で思ってた以上に
禁止してたと思います笑


どうでしょーか、
みなさんは何か、
不快を感じたり、やだなーって思ったり、
批判してしまうことある?

それは世界や他者に対して向けられているようで、自分へのメッセージかもしれないですよ!

#心の声の聞き方
#本音を聞く

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