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10/17 あんなに寒かった場所に火がともる

3:56
やっぱりこういう時間に目が覚める。
試しにiPhoneのアラームを4:00にしてかけてみたんだけど、それが鳴る前に目覚めた。

昨日は騒がしくなった、心がね。

今日は、静かに過ごす。

こういう、誰にも読めないTwitterみたいな調子で、1年ちょっと日記を書いていたんです、pencakeというアプリで。日記が、自分の薬になることがわかった。同じ言葉をTwitterで小出しにするとつらくて、非公開の秘密の日記ならおだやかに過ごせるって感じて続けてきた。それがどうやら、新潟に来たことでバランスが変わった。あんなに近かった鳥取を、いつも遠くに見たり思うようになって、自分が心でつぶやく鳥取への届かない声がいつの間にか溜まっていってた。ような気がする。あえて黙っているのが、口数少なめの暮らしがバランスよいと思ってたのが、違くなった。でもTwitterガンガンやるのは違う、僕はTwitterのどうしても好きじゃないところがあって何度もアカウント消してるようなやつなのです。文字数制限なく、他人のタイムラインに上がり込むことなく、自分の店みたいに勝手にできる場所で、思うままにただ書きたい。

絵と手書き文字で絵日記を描いていたけど、最近だんだん文字数が足りないと感じてきたのが、その兆候だった。自分の薬が、その必要な分量が、変わったことに気づいた。

環境の変化と、それに伴う自分の変化に、ついていけてるような気がしてふらりふらりと暮らすけど、じつはちょっとずつメーター減ってましたそしてふと見たらガス欠でした動けねーみたいなことがわりとある。つまり、こまめに確認するのが薬になるみたい。毎日日記書くのは、ガソリンの残量確かめてたんですね、いま書いてて気づいた。Twitterだと全世界の他人のガソリンタンクと混ざっちゃって自分のガス残が紛れて見えにくいんだろうな。

4:48
というわけで、今日は静かに過ごす。

架空の営業をする。

まだ布団で、暗くて、寝転びながらここまで書いた。横に3人、家族が寝息を立ててる。

openします。


6:16
絵日記をかいてもいいような気持ちになったのでノートに向かったけど、小さなキャンバスに描いた絵を塗り替えるほうに手が向かったのでそっちにした。iPhoneで撮る写真と肉眼で見る実物の色が違いすぎて腹立つので、絵の写真を撮るのをやめた。

夜の絵が、夕方なのか朝方なのか、どっちかわからないけど、塗り替えたら絵の時間が変わった。

7:08
散歩に出た。
長女が昨日言っていた。明日は粘土で遊びたい。あと今度妹に絵本を作ってあげたい。僕は無印の絵本ノートを持ってるからそれをあげようと言った。気にいるか分からないから練習用として2つ作りたいと言っていた長女は。あとは今日はポケットポーチを買いに行きたい。妻はひとりで図書館に行きたい。次女はたぶん今日もいつもの公園に行きたい。公園は雨なら行けない、雨は今は降っていない、天気予報は公園に行くかを決めるために重要だ。雨が降るかもしれない曇りだ今日は今は。寒い。お腹が空いた、鳴った。柿の実がたくさん色づいていた。土曜日だなぁと思った。

7:26
あー、焙煎もしなきゃだなぁ。この前コンロで手網焙煎したら記憶が蘇ってわりとうまく焼けた。自分の焼いたコーヒーがいちばん好き。

12:13
モリくんがバズってるのをTwitterで拝見。noteで長文補足するのまじで尊敬。おれは地方→地方の移住で、実家住みの社会人という初めてのステージになって、今年の夏からまた違う角度から世界や自分を見ることになった。

父母と妻子とスシローに行く。

15:38

砂のアイス作りの夢中の方々。寒い。
鳥取より3度寒い、2週間季節が進んでる。
つまり、8月に2週間わたしたちはタイムトラベルした。

17:22
見たいテレビ番組がほとんどないので、他の家族が見ているテレビを見ることになる。それって面倒だなと思うこともあるけど、わりと助かってるんだよな。自力ではどこにも進めない時、偶然が運び屋になってくれる。僕は綿毛のようなもの。風に触れるようにネットの面倒なことに目を通してみたり、他人のつけたテレビで笑ったりする。長女が好きな嵐や有吉の番組を、いつの間にか好きになったりしている。芸能人にくっついて夢を咲かせる夢を見る綿毛たち。でもニュースとワイドショーは嫌い。

やべ、4時台にopenしたから12時間以上営業しちゃってる架空の。もう外が暗いし架空の閉店しよう。

寿司を食べて体が重い眠い。夕飯はどうしよう、みんなお腹減ってないっぽい。レバーを煮る予定なのだが。米だけ洗って用意して、まだ炊いてない。

明日は長女と粘土遊びをする。焙煎もする。架空の営業はお休みかもしれない。

自分の生きていくための細かい時間やお金を弾き出そうとするけど、自分には子どもも親も近くにいて、保護者や被保護者としての自分は彼ら彼女らの一部のように思える思えてしまうから、結果自分の自分と思える範囲は家族全体の動きと重なって広まって、なんだか動きが鈍くなってしまう。一体化したタコみたいに家族の関係性を頭に描いて、タコみたいに頭ぐにゃぐにゃになってやめた。

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