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エンシェント・ワンの孤独

【注意:映画『ドクター・ストレンジ』のネタバレを含みます】

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先日、レンタル(ウェブ上でのレンタル、期間付きの有料ダウンロード)でMarvel映画『ドクター・ストレンジ』を観ました。
(Marvelを少しずつ観てます。早く『インフィニティ・ウォー』に到達したい。)

主人公も敵もかっこよかったです。(ベネさんもマッツさんも好き)

そんな中で、心に残っているシーンは……

師匠エンシェント・ワンの、死の間際のシーン。

幽体離脱の状態で、エンシェント・ワンとドクター・ストレンジが話すあの場面。

エンシェント・ワンの表情……言葉も、やけに私の胸に響いて。

そして何より、エンシェント・ワンが短い時間だけドクター・ストレンジの手を握るのがとても印象深かった。

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あの場面で、『もっとも大切な教え』として「人のためにあれ」とエンシェント・ワンは言った。

でも同時にその前の会話では、何度も何度も繰り返された闇との闘いに、エンシェント・ワンの『疲れ』を感じた。

そして、ストレンジの手を握ったのは、果てしない戦いの中で抱え込み続けたエンシェント・ワンの『孤独』の発露のように思えた。笑顔だったけども。サッパリした笑顔だったけども。

「人のためにあれ」とエンシェント・ワンは言った。

映画のラストでは、ドクター・ストレンジが人のために自分を犠牲にすることで地球の危機を脱する。

とはいえ、その過程で暗黒次元の力を利用(時間を巻き戻す)したことを仲間に糾弾されて、ストレンジは決裂を体験する。

それこそ、エンシェント・ワンも同じような経験を経てきたのだろう。

人のために、闇の力を利用し、それを糾弾される。

人より多くのものが見えたとしても、分かってもらえないことや伝えきれないことはたくさんある。

人のために……大義に尽くす……そういう自己犠牲を私が苦手なのは、それにより救われる人がいる(自分の心も含めて)と同時に、時として孤独や疲労や空しさだって招きうると思うから。
大義や正義も、1つじゃないから。
自己犠牲だけで心が満たされるのって、ずっとじゃないと私は思ってるから。
それでも、ストレンジは選ぶ。そして、エンシェント・ワンも選んだ。

散り際に思うことは、人それぞれなんだろう。

救った人への愛を思い出すか、それとも、日常のささやかなことを思い出すのか。人の温もりを思い出すのか。

「雪を見ていたくて」

ストレンジの手を握りながら、笑顔で言ったエンシェント・ワン。

あの場面が、心に焼きついている。




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