【第一回】福本ともえ先生 読み上げ用インタビュー記事

2018年12月31日に発表しました、福本ともえ先生のインタビュー漫画の、インタビュー内容を抜粋した記事です。

長いインタビューとなっており、数回に分けて漫画をアップしております。
今回は、その第一回の文です。

なお、読み上げソフトに対応しやすいように、一部の言葉を変更しております。

(ここから)

ともえ先生→

皆さんこんにちは、福本ともえと申します。
出身は大阪、今は京都の山科という所で社交ダンススタジオ『Dancer’s Lake Stella 』を
ダンスパートナーの柳真之と経営しています。
ダンス教室経営者 兼 JBDF西部連盟に所属の
現役競技選手としてダンス頑張っています!

私→
よろしくお願いします。
社交ダンスを始めたきっかけを教えてください!社交ダンスの前に、何か別のダンスを習っていましたか?

ともえ先生→
私が社交ダンスを始めたきっかけは母の影響です。母がある日 唐突に
「私、社交ダンス始めるわ〜☆」と宣言!
「ほな私も〜☆」と軽いノリで始まったのが私の社交ダンス人生の第一歩です。
よく体型からか雰囲気からか「バレエしてたの?」と聞かれるんですか、まーったくやってません!
それどころか他のダンスはおろかスポーツすら何もしていませんでした(あせ)。
いわゆる運動音痴ってやつです(あせ、わらい)。

苦手だし出来ないのか、出来ないから苦手なのか…球技は当たるのが怖くて近づけないし、ハードルは全部倒して飛んだ(飛んでない)事もあります(わらい)。

私→
社交ダンスを始めたのは何歳の時ですか?

ともえ先生→
中学3年生の冬、15歳の時ですね☆
今の社交ダンスの役に立つ事をやっていたとしたら演技の勉強をしていた事かなと☆
実はダンスを始めた頃、将来の夢が『俳優』だったので養成所に通ったりして結構本気で勉強していたんですよ。
「あめんぼあかいな、あいうえお」(発声練習)も言ってました☆

私→
大学の競技ダンス部には入ってましたか?

ともえ先生→
それもよく聞かれますがNot学連さんなんです☆
皆さんと一緒でサークル(かな?)に入って団体レッスンを週一回通ってるってとこからスタートなのです☆
ちなみにリーダーの柳も同じくNot学連さんで、しかもダンス始めたのもお母様の影響、なおかつ中学生からと珍しい部分で共通点が多いのです!(びっくり顔)

私→
15歳で始めた社交ダンス。そこからプロ入りを決意し、プロになるまでの流れを教えてください!

ともえ先生→
15歳で社交ダンスを始めた時は正直、自分がプロになるとかこんなにはまり込むなんて想像もしていませんでした(あせ、わらい)。
夢見ていた俳優業への糧になるかな、という程度で。

それに当時の私の中での社交ダンスのイメージって「おじいちゃん おばあちゃんが踊ってるダンスでしょ?それなら私にだって踊れるわ☆簡単簡単」って感じで正直なめてました(わらい)。
でも、いざ始めてみるとなんと難しいことか…!
元来の不器用さと運動音痴を、いかんなく発揮してなかなか思うように踊れないんですコレが。
周りのおじいちゃんおばあちゃん達は出来てたりするのに(あせ)。

出来ない時の悔しさと出来た時の達成感との繰り返しで、あっという間に大好きな『趣味』となりました。
レッスンはとても楽しく、一緒にレッスンを受けてた方々も子供や孫ほど年の離れた私を可愛がって下さり毎週のレッスン日が楽しみになっていました♪
でも まだその頃はあくまでも『趣味』の域。

※ちなみにその頃仲の良かった超美人マダムからは、「女は男を踏み台にして上に行くのよ!」というありがたい助言を頂き、心に残っております(わらい)。

最初の転換期は習い始めて半年程でしょうか。

今まではちょっと上手なおじさまって感じのアマチュアの方が指導してくれていたのですが、イケメン競技ダンサーの若い男性が講師として来てくださったのです(ハート)。

恋は人を強くします(わらい)。
一目で先生の事を好きになった私は、俄然、ダンスへの熱も先生への想いと共に燃え上がりました!

イケメン先生のお勤めされてるスタジオを聞いてそちらにも通い出し、ダンスの練習に割く時間も増えました。
家の自分の部屋でずっと練習していました☆

そこが始めて通った社交ダンス教室だった訳なのですが、社交ダンスにもプロというものがあることや、競技というものがあること、いろんな事を知りました。
それまではダンス教室というものの存在も知らず、プロの先生がいることも競技大会があったりダンスパーティーがあったりという事も、なーんにも知らなかったので(あせ、わらい)。

しかしそのイケメン先生がスタジオを辞められるということで、私の燃え上がった恋は
あっさり終わりを告げてしまいました(なみだ)。
それでもダンス熱は盛り下がらず、俳優の養成所通いは続けつつ社交ダンス教室にも週2〜3回ペースで通っていました。

恋には破れつつも新たな楽しい趣味を見つけた私はバイトやなんかの時も立ち方を意識したりして、順調にのめり込んでいきました☆

そして当時通っていた教室の先生から「新しく入ったスタッフの先生と組んで競技大会に出てみないか?」と声を掛けて頂きました!
とうとう競技会デビューです!
たしか16歳の時でした。

スタッフの先生といってもその方もまだプロ資格も持っていない競技会にも出たことの無い方でしたので、競技会もアマチュア部門での出場です☆
オーナー先生のドレスを借りて(鮮やかな黄色でお花がいっぱい付いた可愛いドレスでしたハート)挑んだ初の競技会は…

私→
初の競技会、その結果は…!

ともえ先生→
なんと一次予選敗退でした(ガックリ)。
まさかの全音外しによりさすがに審査員の方々もチェックをあげられない状態だったのです(なみだ)。
踊りながらフロア外から先生方がカウントを
叫んで下さっていたらしいのですが、超緊張状態の私とリーダーさんの耳には届かず…。
その時の優勝は忘れもしない、同じ教室で習ってる父親ほども年の上の、ヒゲがよくお似合いのおじ様でした。

一次予選すら通過出来ずたいへん気落ちした私達は、ほどなくして解消。

そんな初めてのカップル結成、競技会初体験でした。

悔しい思いをした私はどうにかしてリベンジしたくて、競技会に再度チャレンジするためリーダーさん募集を続けました!

(途中ですが、第一弾のアップはここまでです。続きをお楽しみに!ありがとうございました)


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