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楽しい時間を共有できるのは、私にとっては奇跡みたいなもの

推しが一緒だからといって、仲良くできるとは限らない。
(腐女子やアイドルのオタク界隈では、推しが一緒でもスタンスが違えば戦争みたいになってしまう。住み分け大事。)

お互いに友好的であっても、一緒に過ごす数時間が楽しいとは限らない。
(好きな友達ではあるんだけど、二人きりで数時間会うのは会話に困るし、沈黙でも楽しいよねってほど親密ではなかったり)。

『一緒にいて楽しい。語らっていて、楽しい』は私にとって、レアなもので。奇跡みたいなもので。

自分の嬉しい楽しいと、相手の嬉しい楽しいが大きくズレていくことに慣れてしまったのは、なんだか寂しいことだけど。
人生も音楽も前にしか進んでいかないから、時々一休みしたり弱音を吐くことがあったとしても、結局は私も前に進むとするのだ。

(とはいえ、語り合うのに理屈抜きの楽しさがわくような人と出会えるのは、私が想像する『生きていく上での喜び』トップ3に入る。

「私、それ興味ない〜」で会話が終わらない好奇心とがあって、調べる探究心や行動力があって、語るリスクをちゃんと背負い、模索する喜びがある人……)

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