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夢を追い続けている人生

夢というのはずっと昔からあった。

子供の頃の夢はプロ野球選手になることだったが、途中でそれを言うことが恥ずかしくなった事もあった。
今思えば、言えなくなった時点で夢は諦めていたのかもしれない。

高校時代に野球部に入り、社会人野球の方や大学野球の方を見て、こんなに凄い人達なのにプロ野球選手になれないのか、、、とそこで挫折した。
挫折はしたが、野球に対しては真摯に向き合って部員16人しかいないのに県ベスト4まで進むまで頑張った。
野球で学んだこともとても多く、今でも野球は大好きである。

高校を卒業し、大学に入学して次に出会ったのは音楽。

20歳くらいからバンドをはじめたが何の根拠と自信があったかわからないが、プロミュージシャンになりたいという新しい夢が出てきた。
大学時代のバンドはそこまで上手くいかなかったが、地元に帰ってきてから組んでいたバンドが、メンバーにも恵まれてそれなりの結果を出して、事務所にも所属するくらいにはなった。
だが、それで生活は出来るわけでもなく、メンバー脱退とともに活動休止。
その後にも色々なバンドに加入して活動してきたが、プロミュージシャンになるというのは難しいという現実を突きつけられた。

バンド活動をしている中で、事務所のディレクターに「藤井くんはプレイヤーとしては全然だけど、マネージャーや裏方には凄く向いている」と言われた事があった。
当時は、いやいや僕はプレイヤーとしてやっていきたいと反発していたが、今思い返せば当時からバンドのスケジュールを組んだり、ライブハウスでイベントを企画したりするなど、そういう裏方の仕事はとても好きで向いていたんだと思う。

そして、バンド活動もしていた中で「hoshioto」という野外フェスティバルを作ることになる。

これはまさに僕の夢の一つ。
FUJIROCK FESTIVALに参加してあの衝撃を受けた事を地元でやりたい。

2012年に初めて開催し、その夢が一つ叶った。
ただ、叶った時に物足りなさがとてもあった。

規模や内容そういうものが全然満足できるものではなかったから。
でも、一気に大きな事は出来るわけでもなく、そこから自分の出来る範囲を着実に広げていった。

2017年に会場を今のhoshiotoの会場に移動した時に、ここなら思い描いていた事が出来るかもしれない!
と思っていたが、大赤字を背負った。

それでも、色々な人の助けを受けて、続ける事が出来て2019年には初めてソールドアウトとなった。
2020年はその勢いで、、、と思っていたが新型コロナウイルスの影響で中止。
2021年も中止。


僕の夢はまだまだ思い描いていたものに届かない。
でも、今年2022年にはその夢の一つであった、とあるアーティストさんの出演が決まった。
僕が音楽をはじめるきっかけになり、いつも彼らの音楽で救われていた。

未だに信じられないがその夢が現実となるハズ。
30代を過ぎて、夢が毎年書き換えられてそれが叶えていってる気がする。

今、一番大きな夢は

自分が住む街が「ワクワクする面白い町になること」
ざっくりすぎるしとてもデカイ夢だけど、そのために毎日を過ごしていきたい。

常にチャレンジャーとして夢をおっかけます。

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