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「励ます」ってなんだろ?

「励ます」って元気づけるってこと。

そう思ってました、こちらを拝読するまでは。

元気づける。間違いではないです。
でも、もっと奥深いことば。

励ますっていうと「やればできるよ」とか「元気出せよ」というような応援したり鼓舞したりすることがイメージされると思います。

でも、他の記事で紹介されているエピソードを見てみると、必ずしもポジティブな言葉でなくてもいいんですよね。

紹介されているエピソードの中で気になったものを一つ

為末 大さん(Deportare Partners代表/元陸上選手)

全日本中学校選手権の短距離で優勝し、たくさんの人が応援してくれるようになりました。うまく走れるとみんな喜んでくれますが、失敗するとがっかりされてしまう。競技がうまくいかないと自分もダメになったように感じて、負けることが必要以上にこわくなっていきました。

でも母親はずっと無関心だったんですよ。適度に。

僕が競技に勝っても負けても、大喜びすることもなければ落ち込むこともない。毎日お弁当をつくってくれて、「はい、これ」と渡されるのですが、「頑張りなさい」「次は大丈夫よ」という言葉は一切言われませんでした。

変わらず淡々と接してくれる母親を見ていると、たとえ競技がなくなってもここに居場所があると感じて、充電して次に臨むことができるようになりました。

表面的に見ると何も励ましていません。
でも、「充電して次に臨むことができるように」なったそうです。

何でかなって思いました。

自分なりには、励ますって「その時に、その人が必要としている言葉や態度を示してあげる」ってことなんじゃないかなと。だから、それが鼓舞する言葉でなくてもいい。不安になっているときは鼓舞する言葉かもしれないけど、逆に色々とうまく行き過ぎてて天狗になっているときは厳しい言葉かもしれない。それは励ましと言わないかもしれないけど、本質的には同じなんじゃないかなと。

為末さんのお母さんは、為末さんが多くの人に応援されていること、それを気にしていることを知っていたからそのような態度をとったのではないか。逆に成績を残せずに注目されていなかったら鼓舞する言葉をかけてたのではないか、と思います。

やなさわさんは、再現可能な励ましの技法を見つけていこうと企画されており、とても興味があります。

自分の現時点の考えでは、「何かしら奮闘しているがうまく結果に結びついていない人、十分なアウトプットが出せる状態なのに宙ぶらりんになっている人」に「必要としている言葉や態度を示してあげる」がそれなんじゃないのかなと
(だいぶ抽象的ですいません。全然再現できそうにない・・・。)


と、思った就寝前。
おやすみなさい。

#励ましのサイエンス








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