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|words|わたしを知る
結局のところ、どこまでいっても「わたしを知る」と言うことなのだなあ、と思うのです。
はじめはきっと、自分のこころを見るところから、はじまることが多いのでしょう。そこにだって(そこにこそ)、未知の領域はたくさんたくさんあるのだから。
あちらこちらをちいさな灯りで照らしながら、わたしを見つけてゆく。そうやって、わたしはまあるくまあるく、かえってゆく。
こころのことがだんだんとわかって、わたしのことがだんだんと見えてきて、わたしがわたしに受けとられはじめると、「わたし」という範囲がひろく、深く、なりはじめるのに気づくはずです。
最初ここにあった「わたし」は、いまでは少し小さく見えている。視点がひろがり深まりはじめるとき、「それは、どこまでもひろがり深まりゆくものなのだ」ということも知っています。
視点はひろがって、深まって、あれこれを包摂してゆく。
そうあるからこそ、見えていること。これまでも、これからも、ずっとここにあること。ずっと、そうだったこと。気づいていようが、いまいが、変わらずに。
それもまた「わたし」を知ってゆくこと。
「ここ」に映し出される、景色を。
めぐりめぐってゆく、おおきな生命を。
ひろがり、深まりゆく、わたしという うちゅう を。
(ふたつの仕組みのお話しをつなぐ、言葉として)
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