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誰のためでもなく、作り続けること、息をするように、自分をわくわくさせ続けること。

なんか突然ですが今、何してました?
ここで会えるということは、ネットを観てたのですね。

こんにちは。星野奈々です。
最近、何してるの?って人に聞きまくるので、ここでも聞いてみました。星野調べだと、Netflix率が高いです。あとは、料理、ストレッチ、だらだら、目的もなくだらだら、が最高に多いです。もちろん、かえって仕事が忙しいかたもいらっしゃいます。が、大抵の人がだらだらしたり、そのついでに映画見たり、Amazonしたり、今はなにかしらの消費率がいちばん高い時期かと思われます。

わたしはというと、忙しかった毎日から一転して、ぽっかりできた余白をどうやって塗り潰していこうかと考え込んでは、自分の何もできなさに気付いて項垂れる毎日でした。
退屈紛れに何かをしたところで、何をしてもすぐに終わっちゃうから、自分が次、何をしたらいいのかわからなくなったり。そもそも、わたし何をしていたんだっけ、とたった数か月前を遠い記憶のように思いだしたり。

少し遡ってみると、毎日演劇を作っていました。
それを「しばらくはやらない」という選択をして、それ以来ずっと、地に足のついた状態から、次のかかとが踏みだせなくなるような、親と突然はぐれた迷子の子どもみたいな感覚を引きずったままでいます。

「本当は、今頃稽古をしていたのに」
と、そんな後ろ向きなことを言っても動けない一方なので、アフターコロナを語る前に、数か月前の、ビフォアコロナの話を今日はします。

これからの生き方を模索するにあたって、これまでの、心をわくわくさせていたことがまずはとっても大事だと思ったからです。

さて、わたしはわたしで、わくわくしたあの頃を思い出してみることにします。しばし、お付き合いください。


ビフォアコロナを振り返る

ちょうど、コロナの感染が日本でも確認されて、これちょっとヤバイやつかも?ってなり始めたくらいに、岩手県の西和賀町にいました。
雪の演劇祭2020という、2週間滞在しながら作品を作るという企画があり、自分のユニットのnanamomoとして参加していました。


生活をしながら演劇をする、演劇をしながら生活もする、そんな毎日でした。
朝起きたら皆と一緒にご飯を食べて、眠たい目をこすりながら歯を磨きます。もちろん皆パジャマです。着替えたら、すぐさまバスに乗り込んで旅館から発ち、10分ほど揺られたのち劇場に着きます。あとは、ごはんまでずっと創作です。ごはんの後も創作です。

・西和賀での一日の流れ:
おきる→ごはん→そうさく→ごはん→そうさく→ごはん→そうさく→ねる

いつものバイトもお休みです。
食べる寝る以外の時間はすべて創作に充てられる環境だったので、今思うとシェルターみたいでした。
やりたいわけでもないバイトから、就職どうするの?という親の小言から、わけのわからないコロナから、すべてのことから遠く離れてやりたいことを存分にできる場所でした。


わたしにとって演劇は非日常の喜びではなかった

それでも、テレビのニュースやSNSから情報は入ってくるから無視はできないし、成果発表として予定していた上演が関係者のみのクローズドの上演に変更になったりなど、コロナの影響を一切免れていたわけではありませんでした。
元々、創作のための合宿なのと、運営の人から事前に「一般のお客さんが入っても劇場が半分も埋まらないくらいだよ」と聞いていたので(盛岡からJRで一時間半という都心から離れた小さな町で、住んでる人はお年寄りが多いのです)、見てもらえないことのショックは小さかったですが、自分がコロナの当事者なんだ、ということが、ずっと変な感じでした。
最初に行政から勧告が来るのが劇場である、ということに現実味がなく、自分ごとのはずなのに、「公共劇場なんだから安易に入れて責任問題になったら大変だよな」、とどこか他人事のように思ってました。

集まった人たちは、東京、愛知、北海道、静岡、などバラバラでしたが、どこも都心だったり、旅館と劇場の行き来の毎日と比べたら、西和賀を出て元の生活に戻ったほうが感染リスクが高いことから、運営の人から「正直、帰したくない」と言われて、心配してくれる気持ちに胸がぎゅっと締め付けられました。
ずっとこの環境のまま、ごはんと創作を繰り返していたいと思いました。

けど、そんなわけにも行きません。
バイトもしなきゃだし、家にはお金も入れなきゃだし。

西和賀から愛知に帰って何より心を削がれたことは、向こうで作った作品を愛知で上演できずにいることです。
nanamomoの結成の出発点にある考えが「社会を無視して演劇を作れるのか?」だったので、コロナという社会問題についての自分なりの解を出すことを放棄したり、なかったことにしたりはできませんでした。
「どうせたいしたことないや」って感じの態度や、何かしらの考えのないまま、上演をすべきではないと思ったのです。それを判断できるだけの情報や、冷静さを自分が今持っているとは思えなかったので、しばらくは「何もしない」ことを意識的に選びました。

最初の公演でのテーマである、「わたしたちが社会で生きる理由を、演劇を通じて考えてみる。」が、nanamomoにとっては今でも大事な根っこだったからです。

でも、それがあるから余計苦しくなりました。

nanamomo仮チラシ


やりたいことだから演劇をしているのに、自分が大事にしているルールがあるからそれができないという、もやもやした毎日でした。
わたしにとって演劇は、非日常の喜びではなく、日常のひとつとして存在していたからです。


孤独が芸術を生み出す?

団体ではなく、自分個人としては、演劇を作るということは人間関係を作るということとほぼ同義でした。前回も書いたことですか、ままごとの柴さんは、「演劇を作ること」=「人間関係を作ること」だと教えてくれました。わたしには順番が逆で、「人間関係を作ること」=「演劇を作ること」でした。そのくらい、人と繋がりたいし、人間のことが好きだけど、どこへ行っても打ち解けるのが下手くそで、一方的に眺めて羨むような、昔からそんな子どもでした。人と関わるのが上手な人間だったら、演劇をする必要はなかったかもしれません。25歳になった今も、人づきあいが相変らず下手っぴなので、代わりに表現をすることにしています。

演劇もできないし人とも会えないし、コロナでもうどうしていいかわからなくて気持ちがぐちゃぐちゃだよ~!ってときに、お世話になってる人に、「さみしい、会いたい」って送ったら「暇なんだな」って返ってきました。

あ、そうか、わたし暇だからこんなにつらいんだ!ってびっくりしました。
実は、元々めちゃくちゃ無趣味な人間で、一人だとぼーっとするか、YouTube見てるかくらいで、何もする気が起きないから演劇したり、人に会ったりしていたのです。

退屈過ぎて心がどうにかなりそうだったので、とりあえずは一人で始められることをしようと思って、さっそく絵具を始めました。

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アクリルガッシュを買いました。

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始めようと思ったのは、先ほどお話しした西和賀での滞在がきっかけです。

最終日に、「フロビ」という美術の企画で「絵具の白を使わず雪を描くWS」があり、絵具が苦手なわたしはちゃちゃちゃーっとざっくりテキトーに描いたりしてました。のですが、めんどくさがってハイスピードで終わらせたはずの絵が、なんと、何人かから褒められてしまいました。わたしって絵が得意だったのか、じゃあまた描こうかな、と思いました。お調子者のわたしはすぐ得意げになります。

嬉しくなって部屋に飾ってあります。

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誰に頼まれるわけでもなく、絵を描いていた頃

しかし、古い記憶を思い返すと、小さい頃から絵を描いてました。多分、好きだったんだと思います。

当時はよく、「何描いてるの?」とか「何て名前?」と聞かれたけど何でもないし、自分でも何なのかわからなかった。なぜ、みんな名前がある前提で話しかけるのだろうと不思議に思いながらも、「なんだと思う?」なんて返すタイプでもなかったので、「誰でもないよ」とつまらない返しばかりしていました。とにかく人を描くのが好きで、机やノートに横顔をいっぱい描いていました。

子どもの頃、誰に褒められるわけでもなく絵を描いていたけれど、中学に入って、わたしより絵が上手い子に出会ってからは、絵を描くことを恥ずかしいと思うようになりました。わたしより絵や漫画が上手い子が、いつも「上手だね、すごいね」って数人に机を囲まれるのが羨ましくって、どこかで、わたしの絵や漫画は彼女のようには求められないんだなあ、なんてしょんぼりしていました。

褒められたくて、描いていたわけではないのに、いつからか褒められるために描いていました。
だからか、褒められないなら描かなくていいや、といつからか描くのをやめてしまいました。

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わたしは人と交わりたいから、絵を描いていたわけではなかったはずなのに。理由もなく、ただ描いていたはずなのに、いつの間にか、褒められることや、人とつながることを、過剰に優先させていました。

昔は、気が付いたら描いていたはずの絵なのに、今は、誰かに見てもらえないなら描く意味があるのだろうか?と考えてしまいます。誰かにいいねって言ってもらえてはじめて、描いてよかったと思える自分がいます。
冷静に思うところでは、それってそもそも人との触れ合いの時間が圧倒的に今足りていないだけなのです。自分の何者でもなさが、耐えられないだけなのです。

ほんとは、何者にもなれなくってもよくて、毎日クラスメイトに会って意味もないことでくっちゃべるような、そういう、何でもないのに人と関わる時間が、コロナ以前に、大人になった今、ほとんどないのです。どう思われるかなんて気にせずに好きなことして生きてた時代が小さい頃には誰しもあったはずです。これは、坂口恭平さんのいう、トイレ不足問題だと思うのです。

(前回、わたしにとっての芸術とはトイレ。で書いた芸術トイレ論と、坂口さんのトイレ不足問題「トイレを増やせば、自殺がなくなります」はつながってるのですが、まだ言語化できそうにないので、これだ!ピピン!となった時に詳しく書こうと思ってます。お楽しみに。)


やりたいことのはずなのに

ちなみに、目的と手段が主客転倒しがちなわたしが昨日書いた日記がなんとも切実でした。これ、人と会えてないから、こんな頭でっかちな考えに至るんじゃないのかしら。ちょっと思い切って、一部を公開してみます。

これこそ、トイレに流したような、文章です。

絵を描き終わった瞬間に、また孤独だ。
この絵にどんな価値があるんだ、と考え始める。
かけばかくほど孤独だから、かくしかなくなるのだろう。孤独を紛らわすために描く。一人でもいられるように。そうか、孤独や退屈が芸術を生むんだな。
生活に必要不可欠、というより、頭が狂わないために。
本来のなにかに戻りたい。
人と触れあう時間を覚えている。
そのときに再び出逢うために、それまでは一人でいる。
それまでに素敵な大人になる。
人と気持ちよく接することができたら、ストレスが消えたら、そのときこそ芸術の死かもしれない。
でもそんなことはない。
うれしくて言葉を書く、なんてことが多くはないが、それすら分かち合いたいという、一人でいられなさ、だ。

出すだけ出して、なにかが生まれるのだろうか?
それこそ、人と交わりたいだけ。
触れていたいだけ。
触れられたところで、虚構だ。
その場しのぎの、気まぐれの、いい加減の、責任のない、自分勝手な、触れ合いだ。
ならば、その触れ合いはむなしい。

触れあうことが本来の人間で、それでもさみしいから何かを作ってしまうのだ。
触れあうことが、うそになるのは、いやだ。

深夜に眠れなくて書いた文章なので、わけわからん感じの方向に悩んじゃってます。大変でした(主に眠れなくて)。

いい加減、「コロナガー」って駄々をこねることはやめ、黙々と作りつづける習慣をつけようと思う今日この頃です。

絵もいいけれど、やっぱりわたしは、演劇をやろうと思うのです。

とりあえず今回は、坂口恭平先生のお言葉を貼って終わりにしようと思います。