努力は不要

子供には努力家に育ってもらいたいが、その教育は困難を極めるものと言っていい。努力とは本人はそれを努力とは思わない場合が多いから、他人が介入しても正しい努力に至らない。

体験の数ほど重要な能力が勝手に上がっていくのが子供の特権であり、その能力の有り様が目に見えることが若者の可能性ということになる。

「成長」というと自分の数ある能力を絞り込み、可能性を狭めて特化していくことで伸びていく。

**その結果が成功ということになるが、これはそもそも自分ではコントロールできない。 **

努力のみに注力することは、ないものを探す旅に似ている。あるものをみて、いつもその組み合わせで考えるとうまくいくのではないかと考える。

将棋の世界でいうと羽生善治は藤井聡太くんの才能の前にどう対抗しているのか、こういう観点でみるとおもしろい。羽生さんは努力と鍛錬だけではもう及ばないはずだが、その経験値で可能性を探っている。

挑戦をおもしろがる気持ちがそこにみえる。結局盲目的な努力より、そこにつきるのではないか。

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