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大楠がつくった大楠小学校

「東彼杵郡、東彼杵町立 大楠小学校」

新聞の連載で2009年の年明け、1月は、この小学校の近くを描いたのですが、あとでこの地をよくよく調べてみると、長崎街道の中にあり、近くにあったこの小学校にも深い歴史があることがわかりました。

二ノ瀬集落のこの地には、昔、楠の大木があったらしいのです。
シーボルトは江戸へ向かう途中に、この大楠を調べ、幹の周囲16.9m、直径5.4mという記録を残しています。
また「大村郷村記」によると、領内随一の大木で、高さが梢までの高さが約23.6m。幹の一部が空洞になっていて、畳八畳が敷け、中に大人15人が立てたとあります。

確かにケタ外れの巨木であったことがわかります。
しかし、残念ながら明治27,8年頃、樟脳(しょうのう:カンフル剤などの原料)を採取する為に、根っこまで掘り取られ、当時のお金800円で売り払われたらしいのです。
そしてその益金は大楠小学校の建設費に充てられました。
大楠小学校は明治41年に新校舎が落成しています。当時の価値に換算すると、800円あれば、新校舎建設には十分まかなえただろう・・ということです。

↓これは苗木から育てられた「二代目大楠」です。切り取られた大楠のあった場所に立っています。

すぐ近くにある大楠小学校をずっとこの場所で見守っています・・・。

現在は1学年四~五名。全校でも五十数人という小さな学校ですが、初代大楠の精神を受け継いで、今も頑張っています。

丁度、グランドでは子ども達が体育の授業中でした。にぎやかな声が飛び交っていました・・・。

かつて26聖人もあるいた、長崎街道。彼らもこの大楠を見た可能性は大きいと思います。
今は平和な山間の小さな小学校には、今も仲良くがんばる子ども達と、それを見守る大楠が立っています・・・。

(元記事投稿:2010年11月15日)


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大楠小学校は、2016年3月末に閉校した。
同じことを繰り返し述べるが、学校を予算や人数などの理由で簡単に潰すべきではない。
少子化と反比例して、不登校児の割合は増えている。
それだけ、児童の中にも多様性が求められているという事だ。

そういう通常の学校に合わない、或いは選択したくない児童たちが、フルースクールのように所属する学校として生まれ変わるべきである。
距離の問題があるなら、通信制のような部門を設けてもいい。
子ども達とその家族が安心して身を置けるベースのような場所となれば、この地区にも未来が拓けるだろう。
その時こそ、大楠は新しく生まれ変わる。




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