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私が対州馬を絶滅から救いたいと思う理由 その135

娘と対州馬ひん太 ①


 
2015年に、対州馬ひん太を飼養し始めた時、娘は小学6年生でした。
話は、それよりも4年ほど遡ります。
私が長崎新聞でイラストとエッセーのコーナーを担当していたのですが、その取材先である対馬を取材したことから対州馬にすっかり憑りつかれてしまってから、やたら対州馬を巡り歩くことになりました。
 
当然まだ娘は幼かったので、必然的に私に付き合わされ、各地の対州馬に会いにゆくことになります。
従って、小学校の1年生の頃から、馬に触れたり、乗ってみたりということが、数多くありました。
2012年の小学3年の時には、東日本大震災から一年後の復興イベントとして、対州馬による坂段での荷運びイベントを長崎市内で行った際に、馬の後から配布物配り係として、ついてきた。
その時は、長崎のテレビから新聞から、ありとあらゆるメディアが取材に来て、ごったがえしていた為に、娘のことは、放ったからししてしまった。
ずっとトイレに行きたかったのに、ずっと連れて行ってやれず、泣き顔になっていた時にやっと気づいて、連れていった。本当に可哀そうなことをしてしまった。
おまけに、自分たちや対州馬サトコの写真は、さんざん撮ったのに、娘が写っている写真は一枚も無い。
他にも、協力してくれたのに、一枚も写真を撮っていない人もいる。
まだまだ私は、そんな風であって、今思い起こしても、本当に情けない。


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