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馬にとってはオリンピックやG1なんて関係ない。冬の暗い朝に世話しに来てくれるような人を最も信頼しているだけのこと

馬が出てくる映画を観た時に、よく「いい映画だけど、馬のことをよく知らない方がつくったのが、惜しいなぁ」と思います。

過日、「インターナショナル・ベルベット~緑園の天使」というテータム・オニール主演の古い映画をネットで観ました。
両親を事故で無くした少女サラが、イングランドに住む叔母の家にひきとられ、馬術を通して信頼を築いていくというストーリーです。

最初、心を閉ざして叔母に反抗ばかりしていたサラが、イングランドに来て間もない頃の、ある朝、馬(叔母がかつてパートナーとしていた馬)に乗って丘陵を駆け巡るというシーンがありました。
ここで一気に興ざめになり、動画をストップしました。
いくら時間の限られた映画の中とは言え、あまりにも「馬」のことを知らなすぎると思いました。
まるで馬のことを自転車か何かの「道具」として扱っているというか。
見ず知らずの馬の事も何も知らない少女が馬のところにやってきて、丘を駆け巡るなんて、あり得なさすぎるのです。
馬を(と)自由に駆けることのことができるのは、馬の信頼を得るために、敬意と忍耐、寛容さを持って地道に馬の世話をした者だけです。

馬にとって何億という賞金の掛かった競馬のJ1レースだろうが、オリンピックの舞台だろうが、そんなことはまったく関係ありません。
馬はただ、まだ暗い極寒の朝にも、皆が祭りに酔いしれている夕べにも毎日きちんと世話をしにやってきてくれて、「畜生扱い」などせず、敬意と愛情を持って接してくれる人間といつもやっているルーティーンをやっているだけのことです。



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