ルーシー・ボストン著「グリーン・ノウの子どもたち」の中の馬のエピソード
「グリーン・ノウの子どもたち」は、1950(昭和25)年、イングランドのルーシー・M・ボストンによって執筆された。
歳をとってから執筆活動を始めたボストンが「グリーン・ノウの子どもたち」を書き上げたのは58歳の頃で、最初は大人向けとして書かれたものだったのだが、挿絵を入れるという条件は児童書でしかできなかったため、「グリーン・ノウの子どもたち」は、児童書として発刊された。
物語は、親と縁の薄いひとりの少年トーズランドが、クリスマス休暇に曾祖母の住む古い館で過ごすうちに、昔亡くなった子ども達に出会うという物語。
館には馬小屋があるのだが、物語の中でも屋敷にとっても「馬」は、大変重要な役割を果たしている。
この馬小屋で飼われていたのはフェステという馬で、数章を割いて、このフェステのエピソードが綴られている。
嵐の夜、三人兄妹の長兄トービーは、病気になった妹リネットのためにフェステに乗って医者を呼びに向かう。
途中、これまで何度も渡ったことのある木橋をフェステが頑として渡らない。
遂には鞭を入れるのだが、それでもフェステは従わず、自分から荒れ狂った川の中に飛び込み、やっとのことで川を渡りきる。
直後、木橋は音を立てて砕け散り、濁流にのみ込まれていった。
主人公トーズランドは、やがてフェステとも出会い、その手のひらに鼻づらと吐息を感じる。
クリスマス休暇が終わった後、トーズランドは以前の学校に戻るのではなく、屋敷から少し離れた場所にある聖歌隊学校に入学することになり、乗馬について習うことを許される。
昔、亡くなった馬フェステは、永遠に生き続ける存在として物語の中で描かれている。
嵐の夜のエピソードについてであるが、馬に予知能力があるかどうかという点はともかく、馬の感覚の鋭さは、人間の比ではない。
馬は「近くに立っている人間の鼓動の早さで、その人間のリラックス、或いは自信の程を見抜いている」という言葉もどこかで読んだことがある。
私の馬ひん太の世話をしている時に、自分には何も聞こえないのに、ふいにひん太が顔を上げて何かの「音」を聞いているということは何度もあった。
物語のフェスタが、上流の流れの変化を察知していたり、木橋のかすかな「きしみ」を聴き分けていたとしても、なんら不思議なことではないのだ。
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