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馬生の最後をみとること ②


~パンナコッタの馬生②
セサミで過ごした13年~

今から13年ほど前のセサミは、サラブレッドなどの大きな馬たちがほとんどでした。
セサミの入り口、入ってすぐの馬場(今のマオ君やてんてん達のエリア)に入った、ぱんちゃん。
子馬を死なせてしまったことで自分を責め続け、ふらふらしながらやはり何も食べずに毎日涙を流して過ごしていました。

何なら食べてくれるだろう?と、当時のスタッフの齊藤さん、はまさん、めぐさん、ももさん、たばちゃんは色々な草(クローバー、熊笹、その他雑草)をかき集めてぱんちゃんに食べさせました。当時は毎日のそのエサの確保が大変だったと言います。

少しづつ食べてくれるようになって元気を取り戻しましたが、優しいぱんちゃんを追いかける馬がいたりして転倒する危険性があり、7~8年前に一番下のエリアから、最後に過ごしたエリアに移動しました。

移動したエリアに当時いたサラブレッドの ゆうざんやポパイとつるんで仲良く暮らしたぱんちゃん。
そんな仲良しの大きな馬たちが亡くなっていき、最後は小雪ちゃんやチビちゃんたちポニーを率いるリーダーとしてエリア内の平和を守りました。

昨年亡くなった宝船(たーちゃん)や、ポニーのチビが新しくセサミの仲間に入ったときも、なかなか馴染めないのを上手く仲間に入れるきっかけを作ったりして気にかけてくれたぱんちゃん。
馬たちからの信頼も厚くみんなぱんちゃんのことが大好きでした。

セサミに来てからもずっと、時々涙を流していたぱんちゃん。日々の平穏な暮らしの中にいても、子馬を亡くした傷は残っていたと、ももさんは言います。
そんなぱんちゃんも年々歳を重ねていき、転ぶと自力で起き上がれなくなっていきました。

500キロ近いぱんちゃんが転ぶと、最低でも4人居ないと支えられないため、転ぶ度に沢山の方に協力してもらい起こしていました。
ぱんちゃんが倒れるたび、毎回ヒヤヒヤしながらも、なんとか起こして復活することができていましたが、今回はぱんちゃんの足に力が残っていませんでした。

南阿蘇のファームサンクチュアリ オープンセサミ(命紡・復活プロジェクト)

ここに書いておられることは、誇張でもセンチメンタルな感傷でもなく、馬の近くに寄り添う人であれば、誰でもわかることだと思います。

ひん太にも、元の群れの中にいる時、「仲良し」の友だちがいました。


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