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太陽のように温かな母親の人柄が、チャップリンの才能を開花させた ~ 「チャップリン自伝ー若き日々」を読む ①

「チャップリン自伝」ではあるが、この書の前半部分は、ほぼ母ハンナ・チャップリンのエピソードで占められている。
私はこの書を読むまで、彼女のことを何もわかっていなかった。と言うか、まったくもって誤解したイメージを持っていた。
本を借りるという妻に付き添って入った、かつて私が幼少期を過ごした場所の古ぼけた小さな図書室。その書棚でたまたま目に付いた、一冊の擦り切れた文庫本。
この一冊の本が、それまでのイメージをすっかり覆してしまった。

私はそれまで、「チャップリンの母」と言うと、「ロンドンの貧民街で極貧のあまり精神を病んでしまい、その母を何とか笑顔にしようと幼いチャップリンが、その穂に出来事を面白おかしく、身振り手振りで伝えたのが、演技の原点となった」ぐらいのもの。
それは、まったく違っていた。

表題のように、母ハンナは、「太陽のように朗々と明るく、そして子どもに愛情を持って接し、関心を失わなかった人物だったのだ。
その内容を、これから数回に分けて紹介したい。

その日曜日は、どうしたわけか、母が掃除をしなかったために、部屋の中はいつにもまして陰気くさかった。
明るく、陽気で、まだ三十七歳にもなっていなかった若い母は、いつもだと掃除に精を出して、みすぼらしいこの屋根裏部屋を、それこそ居心地のよい場所にしてしまうのだった。
とりわけ寒い冬の日曜日の朝などがそうである。
母はいつもベッドの中で朝食をとらせてくれる。
目をさましてみると、部屋の中はこざっばりと片づいており、暖炉には暖かそうな火がチロチロと燃え、母がトーストをつくってくれる間に、炉の中の湯わかし置きではやかんから湯気が立ち、火除けのそばでは鱈か燻製ニシンがすっかりあたたまっている。
上機嫌な母の姿、快い部屋の居心地、わたしが週刊漫画雑誌に目を通していると、陶製のティーポットにお湯が注がれているらしい静かな音など、それらはすべて穏やかな日曜日の朝のこの上ない楽しみだった。
だが、その日曜日にかぎって、母はぼんやり窓の外を眺めながら坐っていた。
この三日ほどというもの、妙に黙りこんだまま思いつめた様子で、こうして窓ぎわに坐りきりだったのだ。
心配の原因はわかっていた。
航海に出ているシドニイからの便りが、この二か月間というもの、すっ
かり途絶えてしまったばかりか、母が手内職に使っていた賃借りのミシンが、借り賃をとどこおらせたというので、持って行かれてしまったのである(もっとも、べつに珍しいことではなかった)。
おまけに、毎週わたしがダンスのレッスンで稼ぎ、家計の足しにしていた五シリングの収入までが、急にストップしてしまったのである。
もっとも、毎日毎日がこういった窮乏の連続だったので、わたし自身としては、べつに一家の危機といった感じはほとんどなかった。
それに、まだ子供のことではあり、そんな不幸は簡単に忘れてしまっていた。

昭和56年刊 チャップリン自伝 ー 若き日々(新潮文庫)P7~8

私はチャップリンの作品の中でも特に「キッド」が好きで、勤めていた日本語学校でも、学生たちに、この作品を鑑賞させたことがある。

自伝を読んで、確信したことなのだが、「キッド」の中の子どもは、チャップリン自身であり、貧しいガラス職人の男は、母アンナであった。
捨て子と極貧の職人という生活であったが、映画の中で見られたように、その毎日は、幸せに溢れたものであった。
それは、実際にチャップリンが幼い頃に体験したものに他ならない。
この文章に書いてあるようなシーンが、「キッド」の中にも随所に見られる。



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