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長崎新聞連載「 ながさき異聞 」ブライアン・バークガフニ 最終回


「 煩悩の数 」
ブライアン・バークガフ二

昭和57(1982)年に初めて長崎を訪れたとき、私は太平洋戦争末期にこの街が原子爆弾により壊滅的な被害を受けていたこと以外、ほとんど知らなか
った。
それだけに、長崎の国際貿易港としての長い歴史を知り、街の中に散りばめられた中国や欧米の多彩な歴史遺産を見て驚いた。

中島川周辺を散策し、眼鏡橋などのアーチ型石橋を眺め、雨に瀞れた石畳の道を歩いていると、イタリアの古都のような錯覚さえおぼえた。
西洋人である私は、日本の他の場所では経験したことのない親近感に
満たされ、長く深い国際交流の香りを放つ長崎の光景にすっかり魅了されてしまった。 .

長崎駅のホームに降り立ったその日から40年以上がたった。
その間、長崎の独特な雰囲気に対する私の好奇心は、長崎の歴史と文化、特に明治期における興味と希望は絶えず国際交流史を探求する果てしないプロジェクトの原動力になった。また、故本島等元長崎市長をはじめ、多くの長崎の方々に応援していただいて今日に至る。
一生かかっても返しきれないほどの恩義がある。 
その一方、私はしばしば悲しみや憤りをもって、かけがえのない宝物のように思えた歴史遺産や町並みの喪失を見てきた。

江戸期に開業した老舗料亭、大正ロマンの香り漂う小学校校舎、由緒ある商店、古いレンガ塀や石畳、何世代にもわたって涼しい木陰をつくってくれた古木などである。

長崎が近代都市として進化しても、私は伝統的な町並みが大切に保存され、若者たちが魅力と可能性を感じこの街にとどまって新しい経済活動に取り組み、「地産地消」を重んじる食料と再生可能エネルギーの高い自給率を誇り、また多様な人々が気兼ねなく交じり合い、異文化理解と平和的共存の大切さを発信する長崎の姿を心に描き続ける。
仏教では、人間には108種類の煩悩があるというが、この108という数字は「無限」を意味する。

「ながさき異聞」の連載はこの108回目をもって終了するが、私の長崎への興味と未来への希望は、いつまでも絶えることがないだろう。
(長崎総合科学大特任教授)

× × ×
「ながさき異聞」は2014年4月から月1回、文化面に掲載しました。
筆者の意向により今回で終了します。



2023年3月19日付 長崎新聞


まったく同感である。
どうしてカナダ生まれのカナダ人のバークガフニ氏が、長崎生まれの私と同じような、いやむしろそれ以上の思いで、長崎のことを感じておられるのが、不思議であるとともに、とてつもなく大きな心の支えとなっている。

「ながさき異聞」がもし書籍化されるのであれば、ぜひ手元に置いて愛読したいと思う。




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