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カポーティの才能と人格は、数年間だけ一緒に暮らした親戚の老女との日々によって培われた

「ティファニーで朝食を」で知られる、アメリカの大作家トルーマン・カポーティ(1924ー1984)ほど複雑な生い立ちを持つ作家は、いないであろう。
簡単に言うと、見た目も中身も普通では無く、蔑視されていた為、両親の離婚後は、同じく蔑視されていた遠縁の、実質独り暮らしの老女に預けられて育った。

しかし、その親戚である老女(当時60歳前後)、ナニー・ランブリー・フォーク(Nanny Rumbley Faulk)は、他の一切の相手を差別することが無いばかりか、愛情深く崇高な精神の持ち主であり、彼女と過ごした数年間が、後年発揮されるカポーティの才能と人格を培うこととなった。

彼はルイジアナ州ニューオーリンズで、リリー・メイ・フォーク(1905年 - 1954年)とセールスマンのアークルズ・パーソンズ(1897年 - 1981年)の間に生まれた。彼が2歳のときに両親が離婚し、彼はアラバマ州モンロービルに送られ、そこで4、5年間母親の親戚のもとで育てられた。彼は母親の遠いいとこであるナニー・ランブリー・フォーク(トルーマンが「スク」と呼んだ)と深い絆を築いた。カポーティは『クリスマスの思い出』(1956年)の中で、「彼女の顔は注目に値する。リンカーンとは違うが、とてもごつごつしていて、太陽や風によって色が変わる。」と書いている。

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その具体的な日々は、カポーティの短編である「クリスマスの思い出(A Christmas memory」の中に克明に記されている。
同著は、短編ながら非常に美しく、感動的なものであり、次の書き出しで始まる・・・。

“Imagine a morning in late November. A coming of winter morning more than twenty years ago. Consider the kitchen of a spreading old house in a country town.”

「11月もそろそろ終わりに近い朝のようすを想像してください。もう二十年以上も昔のことです。どこかの田舎町のひろびろとした旧家のお勝手のありさまを考えてみてください。」

「クリスマスの思い出(A Christmas memory」

「クリスマスの思い出」を初めて読んだのは、学生の頃であった。
新潮文庫「ティファニーで朝食を」の中に収録されており、たまたま読んだものだが、その文章の美しさに、すっかり魅了されてしまった。
当時は、インターネットも普及しておらず、私はずっとこの作品をフィクションのようなものと考えていた。

しかし、アマゾン・プライム・ビデオで「トルーマン・カポーティ真実のテープ(字幕版)」をみて、この物語は、間違いなくカポーティ自身の体験であると確信した。
動画の最後に、カポーティは死ぬまで、ナニー・ランブリー・フォークが作ったクッキーを缶の中に入れて、大事に持っていたというのだ。もっともなことである。

カポーティと母が他の遠縁の親戚ナニー・ランブリー・フォーク。「クリスマスの思い出」の中に記されている、たった一枚の撮ってもらった写真であろう。

ナニー・ランブリー・フォークとカポーティは、ともに大きな屋敷の敷地には住んでいたが、あきらかに親戚からは「除け者」にされ、犬のクウィーニーと実質、二人と一匹で暮らしていた。
その暮らしは、貧しく質素なものであったが、少しもみじめたらしいものではなかった。
毎年、クリスマス前になると、二人で森の中へ乳母車を押して行き、ピカン(ピーカンナッツ)の実を収穫の終わった林から、籠いっぱいに拾ってくる。そして、その実を何時間もかけて殻をむき、30ものフルーツ・ケーキをつくっては、知り合いと言うより、たまたまお世話になった人や職人、はてはアメリカ大統領にも贈る。(ルーズベルトがそのケーキを食べたかどうかは、わからないが、ナニーに感謝状を贈っている)
お金はほとんどなかったが、ありとあらゆる工夫をして、二人で小銭を貯めた。その経験は、幼いカポーティにとっては大変貴重なものだったであろう。

彼の心底から出てくる笑顔が印象的である。この笑顔以上の写真は残念ながら、その後見つけることができない。スークの目つきも、大変優しく愛らしいものであることがわかる。

スーク(ナニー)は、カポーティのことを、「バディー(相棒の意)」と呼び、子ども扱いすることなく接した。
スークは、贅沢なものは何も持っておらず、どこかへも出かけるということもなかったが、小銭が貯まると、それをトルーマンに渡し、映画に行くことをすすめた。「自分で観るよりも、後でトルーマンから映画の内容を聞く方が、ずっといいからね」と言った。
トルーマンに「自転車を買ってやりたい」と言い続けていたが、それは叶わなかった。
しかし、人はずっと自分に関心を持ってくれる人がいるだけで、幸せになれるのである。トルーマンは、自転車よりも大きな贈り物を、すでにスークから受け取っていた。
スークは、物をすぐに簡単に、たっぷりと与えることはできなかったが、物を、こつこつと辛抱しながら手に入れる方法、つまり「ソリューションの実践方法と生活へのモチベーションを高めるやり方」を幼いトルーマンに与えていたのだ。
つまり、精神的にとても豊かだったのである。

ナニー・ランブリー・フォークは、ほとんど無名の人物である。
しかし、「命ある存在を尊重し、けっして差別しない」人こそ、この世で尊敬に値する人なのである。
そして、そういう人は、現在生きていようが、過去の人であろうが、どちらであれ、そう大した違いではない。

thy trials ended ,thy rest won(汝の試練は終わり、汝の安息は勝ち取った)・享年74  Monroeville, Monroe County, Alabama, USA Baptist Cemetery


また、トルーマンの幼なじみに、「アラバマ物語(原題: To Kill a Mockingbird)」の原作者ハーパー・リーがいた。
ということは、アティカス・フィンチのモデルとなった、ハーパーの父親も若きトルーマンに会い、少なからず影響を与えたかもしれないと思うと、何とも言えない感慨が込み上げてくる。

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