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アウシュビッツとともに、学んでおくべき、明治政府による「集治監」という強制収容所の実態~「河童が覗いたニッポン」より

当時の記録や資料、得戒に用りた刑具など、その一つ一つを目の前にして、かなりショックを受けた。
内地から急に寒冷地へ連れてこられた人達は、厳しい寒さだけでも耐えられなかったはず。
おまけに嶽合には火の気もなかったから、全員が凍傷やあかぎれで皮膚が破れ、血膿を流して苦しんだという。
その上に、開放される望みもなく、労役の日日が続いた。
脱走・抵抗した者は、その場で斬殺された。
最初の年から病人が続出しているが、病監にも畳や暖房はなかった。
むしろ人気(ひとけ)がなかったので、天丼からツララがさがる寒気だった。
病監内で凍死者も出た。
″集治監″での病死者のほとんどが『死因・心臓麻痺』と記録されている。

当時の権力者は、江戸時代の罪人に対する考えを根強く受け継いでいた。
しかし、集治監での囚人処遇は異常さの度が過ぎている。
それはなぜか? その背景の一つを″集治監″収監者名簿が無言で語っていた。
反政府行動の『佐賀の乱』(明治7年)『神風連の乱』『萩の乱』(明治9年)『西南の役』(明治10年)。
加えて明治17年以後に、矢継ぎ早に各地で起こった″自由民権運動″の『秩父』『名古屋』『加波山』『静岡』の各事件での逮捕者が、他の刑事・重罪者とともに、大量に送り込まれている。
″樺戸集治監″建設の一年後、月形から20キロの地点に新たに″空知集治監″が作られ、さらに3年後の明治18年に″釧路集治監″が、続いて明治24年に”網走分監”が、相次いで生まれている。
政府は北海道開拓の重要な事業として、鉱山の開発にかなり前から注目し、採鉱に着手していたが、一般坑夫を使うより、タダ同然の囚人達の労役を、これに充てることを考えた。
″空知集治監″は幌内炭鉱のある市来知村に設置し、すぐ採炭にかからせた。その結果、囚人が就労した半年間で、前年の一年間に民間の坑夫が採掘した量の5倍の石炭を掘り出している。
さらに4年後の採炭量は、なんと14倍にも達するという信じられない量になる。
この急増ぶりは明らかに尋常のものではない。
『北海道行刑史』の中に、こんな記述がある。
「″開拓の速度を早め、能率をあげよ″の政府からの至上命令は、当然のこととして囚人酷使に向けられた。
日を追って深くなっていく坑道にガス爆発が多く、採炭を妨げられることが多かったので、可燃ガスの有無を予知する必要があった。
「ガスの発生が懸念されるときは、囚人を綱で縛り、吊り降して調べた。
胴吊りされた囚人が動かなくなれば、ガスがあると判断し、新しい換気孔をうがった」と。
明治26年。この幌内炭鉱を視察した岡田 朝太郎博士も、その労役の悲惨さに驚き、″地獄にもひとしい労役は懲戒の域をはるかに越えた「死業」である″と労役に対する考え方を改善するよう強く訴えた報告書を政府にに出した。
彼の詳しい実態報告書には、連鎖されたまま12時間も坑内労働とさせられている囚人達や、事故で手や足を失って不具になった206名が、失明した50人ほどといっしょに、なお作業を続けさせられている姿が描写されている。
”空知集治監″では約10年間に941名が死んでいる。
一方″釧路集治監”も跡佐登硫黄鉱山を採掘させるための労働力供給源であった。
『標茶史考』によると、開設からわずか半年で300名中の145名が罹病。
42名が死亡している。
栄養失調に加え、看守も囚人も、硫黄の紛と亜硫酸ガスで両眼失明者が相次ぎ、″まさに緩慢な死刑であった”″と記されている。

妹尾河童著 河童が覗いたニッポンより

殆どの人は、監獄の囚人と聞けば、「犯罪などを犯した罪人」だと思うが、どう考えても、彼らの多くは「捕虜」である。

或いは「敵側の関係者」と言ってもいい。
戦に参加した多くの兵は、成り行き上、戦わざるを得なかったわけで、個人の意思など尊重されなかったはずだ。
その上で、戦闘に加わらされ、家族や仲間を失ったり、怪我などに苦しんだ挙句とらわれた上、このような「人間ではない道具のような存在」として惨殺されていることは、ナチスのホロコーストと同質、或いは同等の悪行である。

どうぞ現代の刑務所にも、その人権蹂躙の流れが、未だに断たれていないような気がするのは、私だけだろうか?

平和と人権尊重を希求する精神を養っていくためにも、我々は、近代政府につながる明治政府による「集治監」という強制収容所の実態をアウシュビッツなどとよもに教える必要があるだろう。

以下の記事も、集治監の囚人労働の悲惨さと、さらに惨たらしい仕打ちを受けた「坑内馬」たちの実態を紹介したものである。
ぜひ、一読を請う。


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