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インターナショナル・ベルベット/緑園の天使 1978

私が中学生の頃。つまり、昭和50年代当初のこと。
やはり、男子中学生たちを大いに魅了していたハリウッド・スターがテータム・オニールでした。

とびっきりの美女というわけではありませんが、何と言ってもその笑顔は、誰でも虜にしてしまうような魅力がありました。

そんな頃、劇場で公開された映画が、表題の「インターナショナル・ベルベット/緑園の天使」。
1978年の夏に公開されたアメリカ映画です。

当時私は15歳の中学三年生であり、兄と一緒に夏休み期間中の予備校(受験対策)に通うため福岡の親戚の所に居候していました。
ある日、予備校をさぼったのかは忘れましたが、どうしてもその映画が観たくて、天神あたりの映画館に観に行きました。

内容は、すっかり忘れており、タイトルである「インターナショナル・ベルベット」のベルベットは、馬のことを指すと長い間思いこんでいたのですが、それはまったくの勘違いで、下の映画評論サイトを見ると、主人公サラ(テータム・オニール)の叔母の名前であることを、今更ながら知りました。

何より「馬」にまつわる映画であり、ぜひもう一度観てみたいのですが、この作品、残念ながら配信もされておらず、DVDすら存在しません。
かろうじてyoutubeに英語版があるので、それを観てみようと思っています。
英語の字幕が流せるので、「あらすじ」を頭に入れておけば、私の乏しい英語力でもなんとかなりそうかと。
(動画のリンクは最下層に)


英国南海岸の片田舎で小説家のジョン(クリストファー・プラマー)と静かな満ちたりた日々を送っているベルベット(ナネット・ニューマン)は、30数年前、14歳の時、グランド・ナショナル大障害レースに出場し当時のニュースをかざった天才少女であり、愛馬パイは未だ健在だった。このべルベットとジョンの家に、アメリカから来たひとりの少女がいつしよに住むことになった。自動車事故で亡くなったベルベットの兄とその妻が残した娘サーラ(テイタム・オニール)だった。感じやすい年頃のサーラは、初対面から叔母のベルベットに反抗した。土地のハイスクールに通い出すが、授業をさぼり、パイを連れ出して野原を駆けめぐっていた。わがままをするサーラに平手打ちをかわした叔母に対しその裏にある愛情を感じとったサーラは少しずつ新しい生活になじんでいった。ある日、年をとって、種馬としての役目を返上したパイの最後の仔馬が生まれた。その誕生に立ちあったサーラは、自分でアリゾナ・パイと名づけ、いつしか自分のものにしたいと願うようになり、ジョンの仕事を手伝いながら仔馬を買うお金をせっせとためた。やっとお金がたまり、持ち主のところへ行くが、仔馬は1日前に、別の買主に売られてしまっていた。悲しんで帰宅したサーラは、ベルベットの指さす草原に、父親パイと駆けめぐるアリゾナ・パイの姿を目にする。アリゾナ・パイを買ったのはベルベットとジョンだったのだ。アリゾナを得てから、サーラは乗馬に対し本格的な興味を抱くようになり、乗馬学校で練習をはじめた。サーラの目的はオリンピック・コーチ、ジョンソン大尉(アンソニー・ホプキンス)の目にとまることだった。しかし、オリンピック選手に育つには数千ポンドのお金が必要で、ベルベットとジョンにはそんな余裕はなかったが、ジョンは窮地の策として、ペンネームを使いポルノ小説を書き、その印税でサーラのトレーニング費用をまかなうことにした。そういった2人の苦労のもとで、全米競技出場を目指して特訓していたサーラは辛くもアメリカ遠征隊の補欠選手として生き残った。競技では英国チームは惨敗し、サーラは1度も試合に出場することなくアメリカを去るが、米国チームの主将で、オリンピック選手でもあるスコット(ジェフリー・バイロン)を知ることができ、心のときめきを感じた。オリンピックが開催し、最年少選手としてチーム入りしたサーラは無難に課題をこなしていったが、2日目のクロス・カントリーの障害を乗りこえる際、肩を負傷し、最終日、その肩の痛みをおして出場することになった。そして見事に難関を乗りきり、優勝は英国チームに輝いた。数日後、英国でサーラの帰りを待つベルベットとジョンのものに、サーラとスコットが結婚するという電報が届いた。ある日、1人で海岸を散歩するベルベットのもとに、ジョンが包みを持ってきた。それはサーラが愛する叔母に送ったオリンピックの金メダルだった。


MOVIE WALKER PRESS




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