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私が対州馬を絶滅から救いたいと思う理由 その118


人家との距離と言う環境


 
 
馬を初めて飼うよりもずっと前、「馬がいる場所」とは、丘陵地であったり、牧場であったり、ともかく人里離れた場所というイメージでした。

それが変わったのは、初めて長崎市内にある荷運び馬の厩舎を訪れた時でした。厩舎は、長崎港を望むすり鉢状の住宅密集地にありました。
トタンに覆われたその建物は、一見ただの倉庫にしか見えません。
しかし、地上階に4~5頭の馬が入ることの出来る馬房あり、その上は飼料などを格納できるスペースになっています。馬房の背面には小さな扉があり、ボロや汚れた敷き藁を外に隣接する小さな畑に出せるようになっていました。
小屋の前には馬装ができるようなスペースあり、そこは長崎港と稲佐山を臨む絶景の場所でした。
もちろん周囲は、びっしりと民家が密集しており、馬方さんが言われるには、「この辺りの家も、全部うちの馬が建てたと」ということでした。

要は、馬が住宅密集地の中にいても、何の違和感も無かったということです。
いやむしろ、馬のおかげで、地域のコミュニティーが活性化していたと十分言えると思います。
まず何より馬などの草食動物は、匂いを出さないという点です。草食動物でなくとも、人間が適切な処理をすれば匂いは出さないのですが、特に草食動物の排泄物は、草のみであり、匂いを出すと天敵に所在を知られてしまうということから、ほぼ無臭となっています。
また万が一、厩舎から外に出たとしても自分から人に当たったり、踏みつけるということはありません。
 
ひん太の新放牧地の場合も、柵から最寄りの民家まで15mくらいという至近距離でした。間に小川と茂みがあるとは言え、近いということにはかわりませんでした。
当初は、近隣住民から苦情が出た時のことも想定していましたが、そういうことも一度もいませんでした。
むしろ、子ども連れて馬を見せに来たお父さんが、(間に小川がい、迂回しなければらないので)「もっと来やすければのに!」などと言っておられました。

また時々放牧地の前をウォーキングするひとがあったり、人の影があるということは、馬にはけっしてマイナスではないと感じました。 
特に夜間などは、家の灯や物音がすることは、ひん太には心強かったのだと思います。
何よりよかった点としては、放牧地の横には、土地の所有者である方が一人暮らしをされていました。
奥さんを病気で亡くし、ひとり娘であるお嬢さんんも関東方面で就職されていることもあり、よくひん太の顔を見に来たり、ニンジンをくれていたようです。
その上、人家に近いとは言え、漆黒の闇となる夜間には、この方の家の灯がどんなにか心強いものだったでしょうか。
防犯上も大変心強いものでした。


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