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炭鉱

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昭和30年代まで長崎県内に無数にあり、地域の発展を支えた炭鉱のこと
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#暮し

炭鉱町に住んだ人々~隣人との付き合い(2)

ある土地で人が生活をする場合、非常に苦慮する要因のひとつが、その土地の出身者か否か・・という「排他性」でしょう。 「よそ者」という呼称はポピュラーな言葉ですし、我が県においても、「居つき」「旅のもの」・・・など、他地区からの転入者を差別する言葉は、身近な場所にすら転がっているのが現実なのです。 また、そのほんの狭い地区。例えば小さな島の中でも、やれ海に近い所で生まれたか、山に近いか・・などで細かく差別し合い、争い合っているという場所もめずらしくありません。 日本の僻地を

炭鉱町に住んだ人々~女性の仕事

炭鉱というと、どうしても強大な地圧とガスの噴出する地底で働いた、屈強の男たちが強調されがちですが、昭和8年に女子の労働が禁止されるまでは、女性も当たり前のように坑内で働いていました。 男が石炭を掘り、女は掘った石炭を運ぶ・・というケースがほとんどでした。 今でこそ、運搬は男の仕事になっていますが、当時はむしろ女性の仕事であったわけですね。 (下図の女性が左手に持っているのは、坑内を照らす灯、カンテラです) 下図のように、石炭を船に積み込む桟橋までトロッコを押してゆくのも、

海中に沈んだ幻の炭鉱の島 ~ 三菱横島炭鉱

軍艦島に向かうクルーズ船からも見ることができるのですが、長崎市香焼町、香焼炭鉱の中心地であった安保地区から眼前の海を望むと、ちょうど潜水艦が浮上したような、岩礁が見えます。 この岩礁がある場所こそ、三菱横島炭鉱のあった場所です。下の写真は、貴重な操業時代の横島ですが、あまりにも島の姿が違います。 実は、この島、閉山後、海中に消えた「まぼろし」の島なのです・・・ 明治17年の「西彼杵(にしそのぎ)郡村誌」によると、「横島は、東西330m、南北61mで、人家・耕地なし。松樹疎

炭鉱町に住んだ人々~隣人との付き合い

(「写真万葉録 筑豊 大いなる火(下)」より) 現代建築、街づくりが目指しているものは、「プライバシーの尊重と安全性」のようですが、それらを尊重する一方で比例して増幅しているのが、「ご近所トラブル」であることも、また現実のようです。 「(TVや音響機器、足音、話し声、ペットの鳴き声など)音がうるさい」 「(深夜など)生活する灯りがまぶしい」 「ペットが出すにおいや排泄物がくさい」 「植木など植物の枝が邪魔、葉が落ちる」 「共同スペースに物を置いて、邪魔」・・・・・等の