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炭鉱

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昭和30年代まで長崎県内に無数にあり、地域の発展を支えた炭鉱のこと
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#石炭

知られているようで、知られていない 三池炭鉱での坑内馬たちのストーリー

福岡県大牟田市一帯にあった三池炭鉱。 今では「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として世界遺産に登録された「宮原坑の竪坑道やぐら」が保存・公開されているが、そこは対州馬をはじめ、九州地方一帯から集められ、坑底に下げられた多くの馬たちの「墓標」ともいうべき建造物である。 明治から昭和初期にかけて、誰もが口をつぐんだ「事実」がそこにあった。

炭鉱町に住んだ人々~隣人との付き合い(2)

ある土地で人が生活をする場合、非常に苦慮する要因のひとつが、その土地の出身者か否か・・という「排他性」でしょう。 「よそ者」という呼称はポピュラーな言葉ですし、我が県においても、「居つき」「旅のもの」・・・など、他地区からの転入者を差別する言葉は、身近な場所にすら転がっているのが現実なのです。 また、そのほんの狭い地区の中でも、海に近い所で生まれたか、山に近いか・・などで細かく差別し合い、争い合っているという場所もめずらしくないでしょう。 日本の僻地を巡って歩いた民俗学

「じこ のこと」 ~ 子どもの目に映った、ヤマ(炭鉱)の事故

昭和30年代に福岡県稲築町で撮影された一枚の写真。詳細は不明ですが、おそらく三井山野炭鉱の入坑口付近で撮られたものだと思います。 入坑口には、おそらくどこの炭鉱もそうですが、保安を呼びかける言葉がイラストなどと共に掲げてあります。 全くの推測にすぎませんが、山野鉱の近くにあった小中学校で書かれたものではないでしょうか。 学年別に並べて貼ってあるとすると、 小学校1年生 「 いし 」、石炭のことを指します。「 ほあん 」、そのまま保安ですね。 小学校2年生  「 せきた