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炭鉱

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昭和30年代まで長崎県内に無数にあり、地域の発展を支えた炭鉱のこと
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#宮原坑

地底の記録ー呪詛 坑内馬と馬夫と女坑夫 ③ 武松 輝男 著

※著者も亡くなり、出版社も無くなってしまった。 古書もweb上でも、ほぼ見つけることができない。 このままでは、唯一詳細な「坑内馬」の記録が消滅してしまうと危惧し、ここに写し取っておく。 ・・・は停年時の半分になってしまうような制度にしている。 これでは家庭的か、 あるいは身体的な抜きさしならない事情が生れてこないかぎり、辞めることはできない。 坑内での作業がどれほど危険であっても、仕方がないとあきらめる以外にないのである。 そのような坑内職場へ、 父親が災害で死亡したた

地底の記録ー呪詛 坑内馬と馬夫と女坑夫 ② 武松 輝男 著

※著者も亡くなり、出版社も無くなってしまった。 古書もweb上でも、ほぼ見つけることができない。 このままでは、唯一詳細な「坑内馬」の記録が消滅してしまうと危惧し、ここに写し取っておく。 ・・・二基の墓石がみえるだけである。 一基は台座だけであるが、墓地につきものの花立ても見当らない。  私はずいぶんと、あちこちで墓地群を見たことがあるが、どんなに山の中の古びた墓地であっても、この密生した熊笹に、埋もれているような荒れ果てた墓地を、いまだかって見たことはない。 坑内で死亡し

知られているようで、知られていない 三池炭鉱での坑内馬たちのストーリー

福岡県大牟田市一帯にあった三池炭鉱。 今では「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として世界遺産に登録された「宮原坑の竪坑道やぐら」が保存・公開されているが、そこは対州馬をはじめ、九州地方一帯から集められ、坑底に下げられた多くの馬たちの「墓標」ともいうべき建造物である。 明治から昭和初期にかけて、誰もが口をつぐんだ「事実」がそこにあった。