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炭鉱

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昭和30年代まで長崎県内に無数にあり、地域の発展を支えた炭鉱のこと
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2024年3月の記事一覧

「 人口擁壁 (じんこうようへき) と二隻の軍艦島?」

「端島(軍艦島)」と島の名が付くものの、元々の端島の姿というのは・・・・よっぽど凪の日に、お百姓の釣り人が上陸してのんびりと釣りを楽しむぐらいの、岩場か瀬といった場所でした。 説によると埋め立て前の面積は、現在の1/6にも満たないということです。 石炭の発見自体も、釣った魚を岩場で焼いて食おうとしたところ、付近の黒い石が燃えだして、「こりゃ燃え石だ!」などといったことのようです。 当然大きな波がやってくれば、海面から50mにも満たない岩礁は荒波に洗われるわけで・・・このような

「軍艦島グラフィティ」 むらかみ ゆきこ

実は、私はイメージとして「軍艦島好き=廃墟マニア」?という偏見が強く、特に廃墟写真集とかは、手を触れたことすらありませんでした。 そんな頑固な私のココロをおしひらいてくれたのが、この絵本でした・・・・ 著者の村上さんは、6歳まで(昭和49年の閉山時まで)、軍艦島で暮らしていた方です。 その中の、この頁。『クァツン クァツン・・・「もうすぐだけんね」と お母さんの声・・・』 一体、どういう島だったんだ!?船に乗るためにトンネルって? そして海の中の小島のドルフィンって??