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炭鉱

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昭和30年代まで長崎県内に無数にあり、地域の発展を支えた炭鉱のこと
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2020年9月の記事一覧

「名犬ラッシー」の舞台は、イングランドの炭鉱町

「名犬ラッシー」と言えば、幼少の頃、白黒テレビで観ていたドラマ・シリーズというイメージなのですが、調べてみると1957年から1966年にかけてアメリカで制作されたテレビ・シリーズ(派生作品)の遅れ?放送だったのだ、とわかります。 そしてそれは、戦後急激に日本に入ってきた「アメリカ文化」そのものであり、画面に映し出される広い庭付きの一戸建て住宅とやさしく穏やかな両親のイメージは、風呂もない古いアパート暮らしだった当時の私には、大変まぶしく見えました。 ですから、私の「コリー犬」

スコップに刻みつけた我が子への思い~中興鉱業江口炭鉱

中興鉱業江口鉱(松浦市調川(つきのかわ)町下免(しもめん)・・・、昭和11年に設立した中島徳松氏・経営の中島鉱業株式会社の名で呼ぶ人も多いかと思います。 中島鉱業の沿革について述べると、やたらと複雑になるので大半は割愛しますが、江口鉱は「中島江口」「大成」「中島志佐」の3鉱を統合したものを「中島江口炭鉱」と称し、鉱業所本部を調川・江口に置きました。 昭和33年1月中興鉱業は中島鉱業時代に欠食児童を出し、学校やPTAにお世話になったとして調川小・中に対し放送機器・ラジオ・スピ

飛島炭鉱へゆく ② (松浦市今福町)

どうしても間近で見たかった、あのボタ山と送炭線の支柱が段々近づいてきました・・・。 支柱は鉄筋の中をコンクリートで埋めてあり、がっちりとした作りとなっています・・・。 支柱は背後の草むらの中へと続いています。この奥に鉱業所があったものと思われます・・ 海岸に突き出た積み出し桟橋です。こちらもだいぶ劣化していますが、ちゃんと形をとどめています。 この先に船が着いていたわけですね。コンクリの上にあったであろう、コンベアは閉山後取り外されたか、穴だけが残っています。 その

飛島炭鉱へゆく ③ (松浦市今福町)

鉱業所跡を後にして、再び飛島港目指して歩き始めます。子どもも暑さにへばっているようで、ひたすら寡黙に歩き続けます。来る時と同じく、まったく人影もありません・・・ フェリー待合所・・・と言っても、無人でバス停くらいの大きさの小屋があるのみです。 おまけに暑くて子どもと2人へたっていると、どこかのおじいさんが入って来られました。 「暑かですね」から話がはじまり、おじいさん曰く「こん、ちょっと先にクーラーのきいとる店のあるけん、行ってみんね!」とのこと。 「それは有り難や!」