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あの頃の対州馬ひん太

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#長崎の対州馬ひん太

2024 4月 対州馬ひん太カレンダー

手前味噌ないい方だが、馬がこんな可愛い表情をするのか!と、この写真を見る度に思ってしまう。 イラストの方は、実際に3歳ぐらいのお孫さんをお婆さんが手を引いて「馬を見せたい」と連れてこられた時のもの。 目の前の住宅地との間には、小川があり、小さな子を連れてくるには、けっこうな道のりを歩いてこなければならない。 お婆さんが、そうまでしてお孫さんに、ひん太を見せに連れてきてくれたことが、とっても嬉しかった。

2024 3月 対州馬ひん太カレンダー

ひん太が、長崎市にやってきたばかりの頃。 首筋には、まだ「この馬」というマーキングのペイントが残っている。 ショウの娘とひん太の世話に通った。 娘は、「ひん太に、プレミアム青草を食べさせる!」と言って、新鮮そうな草をとっては、ひん太に食べさせていた。 この頃のことも、忘れられない。

2022 対州馬ひん太カレンダー用のイラスト (9~12月)

季節が巡るたびに、ひん太との日々が鮮やかに浮かんでくる。

馬体のバランス

雪の日のひん太。 私が言うのもなんだが、とっても「馬体が、整っていてバランスがいい」。 うっとりとするほど、きれいな馬体をしていると思う。 ご覧の通り、最初の放牧地は山中にあり、冬場は大変冷え込んだが、ひん太は、体に氷のつぶがつくような雪の中でも元気であった。

ひん太の花が待っていた

忙しさにかまけて、しばらく「ひん太」の放牧地へ行けてなかった。 ようやく時間を見つけて行って見ると、一度は姿が見えなくなっていたハナカタバミが花を咲かせていた。 いつもひん太が私を迎える場所に咲く、ひん太の花だ。 花言葉は、「輝く心」と「あなたと過ごしたい」。 2つ目の由来は、カタバミの葉をすりつぶして鏡を磨くと、磨いた鏡に想う人の顔が映るという昔話からきているらしい。 葉をすりつぶして、ちらりと見えるだけでも、たとえそんな気がするだけでもいいから、やってみたい。

おそろいの、カンカン麦わら帽子

ショチュウオミマイもうしあげますバイ^^

ショチュウオミマイ もうしあげますバイ^^ やっぱ こんげん あつかときは ミズアビん あとの スイカたいの!^^ 🌻🍉🍉🍉💦☀️

或る馬関係の施設で働かれている方への返信

『 お便り、ありがとうございます。 今のご職場に至るお話、よくわかりました。 馬に関わる仕事と一口に言いましても、ところ変われば随分と違うものだと思います。 きっと馬たちに癒される反面、人知れずお辛い思いされることも、時にはあるのではございませんでしょうか。 しかし、私が思いますのは、世の中に「馬のことをよく分っている」と公然と述べ、またそのように思い込んでいる調教者や関係者は、かなりの数いることとは思いますが、実際に馬たちが信頼しているのは、例えば冬の凍てついた暗い朝であ

ちょっと嬉しかったこと ~ 対州馬ひん太の身体バランス

FBを眺めていると、下のような2枚の馬の写真が目に付きました。 エイミー・スキナーというアメリカ人が「馬の馬体マネージメントについて述べた記事だった(下に原文と和訳)のですが、その説明によると、亡き対州馬ひん太の馬体の状態が非常に良好なものであったことがわかりました。 これは、私にとって、本当に嬉しい事です。 「エイミー・スキナーのFBより」 ひん太の歩容が判るような写真は、この1枚しかありません。 何故なら、一緒に歩いている時に、真横から写真を撮ることは、難しいからです

夢の中で、亡き馬に逢う

「夢で逢えたら」という唄があるが、本当にそう思うことがある。 私は、亡くなった私の馬、ひん太に夢の中でいいから、逢いたい。 逢いたくてしょうがない。 実は、夢の中で一度だけ、ひん太が逢いに来てくれたことがある。 陽の当たる広い丘陵地だった。 少し傾斜があって、牧場なのか、木の柵があった。 その場所を、ひん太がニコニコと跳びはねていた。 うれしそうだった。 それだけだったのだけれど、夢の中で逢いにきてくれたことが、とても嬉しかった。 今でもふとした時に、ひん太が立て

馬は、人の純粋さと誠実さを見抜く

対州馬の、「ひん太」を飼養している頃。 当然、私が毎朝夕の世話をすることが多いのだが、たまに娘がついてくると、ひん太は娘にべったり。 よく馬は香水の匂いなどに反応することがあるが、その頃娘はまだ小学校6年生だったので、何の匂いもしなかったはず。 放牧地に入って行くと、私の方は見向きもせず、娘のあとをついてトコトコ歩いていた。 一方の私は、一日も早くひん太を手なづけようという、よこしまなオーラが出ていたのだろう。

「人間のように我がない分、馬や動物たちは純粋で、信頼できる人間が世話をしてくれれば他に何もなくてもそれだけで、彼らは十分に満たされることができる」~或る方のnoteから

ある方のnoteを読んで、とっても幸せな気持ちになった。 そのnoteを読むことも、偶然とはいえ、何かの巡りあわせなのだろう。 今でも、時々ふと、私のところに来てから、対州馬のひん太は毎日どのような想いで、毎日を過ごしていたのだろうと思う。 そして、そのことを思うと、胸が苦しい。 毎朝夕、30分~1時間は傍にいて、世話をしたりトレーニングをしたりしていたとは言え、独りっきりの時間の方が圧倒的には多かったのだから。 私は、今でも、どのような思いで、ひん太がいたのだろうと、そ

対州馬ひん太が、私の所に来た当日か翌日の写真

群れから、ひとり離されて不安でいっぱいだっただろうに、ひん太は意外にも早く私との信頼関係をつくってくれた。

馬の世話に行く時の作業着

娘にとって、馬の世話をする時の作業着 = オーバーオールであったらしい。