私が思想を180度転換した理由

こんばんわ、スーホです。

うちはだいたい去年の夏くらいまでは「何部だったかで男の価値は決まる」という論を展開していたんだけど、今では「世間では高校時代何部だったかで男の価値を決めてるけど、その方法は正しくない」という論を展開している。まあ要するにわずかな期間で真逆のことを言うようになってるわけ。その理由を以下に書き記す。

去年の2月あたりから、友人の弟の就活のサポートを頼まれ、メンターとしてES対策や筆記対策、面接指導などをしていた。彼はMARCHでマイナースポーツ系の体育会をやっていて、それをガクチカにしており、内容も協調性とリーダーシップを兼ね備えた十分なものなのだが、どうも面接官のウケが良くない。あまり面接官に興味を持ってもらえないようだ。そして、彼の負けが確定する悪魔の質問「高校時代に打ち込んだことは何ですか?」(彼は高校帰宅部なので勉強がガクチカ)が飛んできてお祈りされるらしいのだ。

「高校時代に打ち込んだことは何ですか?」という質問、部活しか答えようがないし、高校生の部活なんてよほどの超進学校でもない限り顧問のトップダウンを遂行するだけじゃないか?学生が留学でもしていない限りつまるところ「高校時代は何部でしたか?」と質問しているのと同じなのである。彼も高校時代に所属していた部活で格付けされており、集団面接のなかでサッカーや野球をやってた学生ばかり深堀りされていくのを指をくわえて見ているしかなかったのである。

自分の頭で考えてプレーし、自分に何ができるか考えて組織の一員として組織を強くしても、やってるスポーツがマイナーで高校帰宅部というだけで評価されない。一方で、足が速いだけのバカでも野球やサッカーさえやっていれば間違いなく高評価を得られる。こんなん身分制やん。アンシャンレジームやん。足が速いことって人格の評価の一部なのか?実質「私の長所は足が速い所です。それが活かされたのは高校野球部の代走です」って言ってても大手に内定出るんだぞ?バッカじゃねえの?くだらねえ。うちの人間評価の基準が間違っていたことに気づかされた瞬間であり、「高校時代の部活で人生が決まる社会」をぶち壊そうと心に決めた。

情報源はネットなのだが、この「部活歴質問」は25卒の就活において激増しているようだ。嘆かわしいことである。能力ある者が真に評価される社会が来ることを望む。

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