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ニューアルバム『AM 8:00』発売記念!
セルフライナーノーツ第8弾!

今回は『青』という楽曲についてです。
今日はちょっと想い多めなので長め。
暇な時に読んでね。笑

 “青春”ってとても甘酸っぱくて素敵な響きで好きです。男友達との悪ふざけや、失恋したしょっぱい思い出や、青春って2文字で、膨大な思い出が湧き出てきます。
 プロ野球ファンにぶっ殺されそうだけど、僕はプロ野球より甲子園の方が圧倒的に好き。技術も球速もパフォーマンス力もプロには劣るし、大人に比べれば未熟かもしれないけど、優勝するためには”1度も負けられない”試合の中で全力投球する姿に、元野球少年だった自分を投影します。(妄想です。そういえば帰宅部でした。すみません。)

今年、甲子園できなかったなんて、18歳の野球選手達は本当に悔しいと思う。来年はないのだから。でも必ずその誰も経験できない悔しさは大人になってから役に立つはず。そして、そんな君にだからこそ、いつか手を差し伸べてくれたり、背中を押してくれる人が現れるはずだと僕は信じています。

 僕は『宮島工業高校』という、宮島にあるわけではないけど、グラウンドから宮島が見渡せる高台にある高校に通っていました。廿日市の上平良から、毎日45分くらいチャリを漕いで、2号線をひたすら通学してた頃が懐かしい。
MDウォークマンにお気に入りの曲を詰め込んで、「今日はこれを聴きながら行こう!」とか、家を出る前にMDを選んでから出かけたっけ。
 その頃聞いてたアーティストと大人になってから共演できる日が後に来るなんて、当時は想像できてなかったなぁ。

 宮工は工業高校なので、生徒のほとんどが就職、ごく一部が専門学校や大学へ進学します。
僕は高校生の頃は将来ミュージシャンになる気しかなかったので、それはもう勉強もしなかったし、夏空の下で白球を追いかけることも、サッカー部の美人マネージャーを取り合って殴り合いのケンカをすることも、美術室で絵を描きながらテニス部のあの子に想いを馳せることもなく、帰宅部として家に帰ってギターを弾いて曲をかいてました。

 3年生になると『進路指導』担当の先生がいて、主に卒業後にどの企業に就職するのか相談して決めます。
 進路指導室に行くと”求人ファイル”と呼ばれるいう青いファイルがいくつかあって、ハローワークみたいな感じで高校生が求人票と睨めっこするわけです。

 自称天才シンガーの僕は、就職も進学もするつもりはなく、さっさと近所のガソリンスタンドのアルバイト先だけ決めて、『進路指導の森岡先生』とはまともに面談すらしませんでした。”三者面談”を親に二者面談だと嘘をついて、母だけ学校に行かせ、自分はさっさと遊びに出かけたり(母さんごめん!)
どこからともなく進路を決めてないことを聞きつけて、自宅まで勧誘にくるイカツイ自衛隊の人にビクビク怯えながら、日々チャリを漕いでいました。

 今となれば、それで良かったと思うけど、当時はもちろん笑っちゃいたけど内心怖くて仕方なかったのを覚えてます。同学年で400人くらいいるうちに2、3人くらいしか進路決めてないヤツなんていなかったし、担任の山本先生や、進路の森岡先生からも毎日コンコンと説得されました。
 
 進路指導室で、「悪いことは言わんから、この中から就職先、選びんさい。」と森岡先生に言われたときは、「こんなペラペラなファイルの中から人生を選べるわけないじゃん!」などと生意気なことを先生に言い放ち、ファイルをポイッと投げ返してしまったりしました。

 卒業後、5年くらいたっても僕は音楽で飯は食えず、生協で働きながら歌ってた頃、ふらりと母校に遊びに行くと、森岡先生に再会しました。
 進路指導をまともに受けてないから、僕のことなんてきっと忘れてると思ってたけど、先生の第一声は、
『おお!香川じゃないかー!!!お前だけ進路決めてやれんかったらずっと心配しとったんで!元気そうじゃのお!!』だった。

ちょっと白髪もしわも増えて、痩せてたし、えらい老けてたけど、変わらない満面の笑みの先生を見て、いかに自分が当時”青かった”かが思い知らされた気がしました。

 先生は毎年、良い企業に自分の生徒が就職できるようたくさんの会社に足を運び、頭を下げて回って、一社一社大切に求人をファイルにまとめて、生徒の人生を背負ってたんだな。迷いながら、一喜一憂しながら、一生懸命、僕らの”未来”のこと考えてくれてたんだなって、高校生だった頃の自分の失言や態度がそれはそれは恥ずかしくなった。

「元気ならええんよ。がんばれよ!こないだお祭りで歌っとるの見たで。応援しとるで。」

森岡先生は嬉しそうな、どこかめんどくさそうな、笑顔で『またの。』と言って握手してくれました。

それからほどなくして、先生の訃報を聞きました。
就職してバリバリ働く同級生達と集まって、みんなボーナス入ったら1万ずつくらい出し合って、先生に時計でも買わにゃいけんのんじゃないん!?
なんてことを企んでたのに、ガンで入院してるって噂を聞いてから本当に早かった。

先生には僕のCD渡したっけ、昔のやつ渡したような、渡してないような。
そんなことを考えながら、先生の棺に華を供えたとき、涙が止まらなかった。ありがとう先生。
先生からしたら何千人といる生徒のうちの一人だけど、僕にとっては進路指導の先生は森岡先生ただ一人です。

あんまり活躍できてはないけど、先生に進路決めてもらわなかったお陰で、なんとか歌で元気に生きてるよ。嚴島神社で歌ってる姿、見てほしかったな。

いや、見てくれてたかな。

まだまだ青いままでいい。熟してなるものか。
そんな歌です。青!

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「青」
作詞・作曲 香川裕光

うす汚れた校舎の壁
宮工の夏は腹立つくらい暑くて
売店前の自販機から引っこ抜く
カフェオレ片手に
今日も笑ってる

進路指導室に呼び出された僕は
先生が必死に集めてくれた”求人ファイル”
片肘ついてパラパラ
挙句に放り投げて
「こんな薄っぺらい物で人生を選べない!」
なんてさ

すみません先生
あの頃僕は まだまだ子どもだったみたいで
自分の夢は自分だけの世界に
描くものと思っていた

何を求め 何探しているのか
多分みんな分かってるようで 知らなかった
線路沿いの海岸線を 自転車のペダル廻しながら
思いふけった

西高の女子に相手にされないのは
きっとチェック柄の制服がダサいせいさ
文句ばかり並べて絶え間ないバカ話
「こんなくだらない毎日早く終わればいい!」
なんてさ

ごめんなみんな 本当は俺は
誰より怖くて仕方なかった
当たり前に並んで走ったその道の
続く先が見えなくて

途方もない夢ばかり本気で並べて
誰にも負けないとそう信じていた
現実は時に無情に
僕らを叩きつける
嗚呼、それでも負けたくない

ごめんな、みんな
まだまだ俺は
格好良いとこなんで見せられないや
だけども今日も自分らしく明日を
歌ってゆけるように 忘れたりしないから
またあの日と同じ声で笑おう

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