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三十路になってから -その3-

ものすごく可愛がっているマツリカ。
たくさん咲いたらジャスミン茶にする予定の、可愛い可愛いマツリカちゃん。
一昨日お花が咲いたばかりなのに今こうなっている。



おばさんは花の亡骸を捨てることができずに、このまま花の死体を見ている。

というか、お茶にするくらいの数が咲くには何年かかるのだろう…。


可愛いマツリカのお花の人生が1つ終わって、三十路に至るまでの私の人生のお話も終わりになる。


そんなこんなでいつしか食欲のない日々が続き、誰がどう見ても痩せすぎの状態になっていた。

普段なら気にならないことが気になって、家にいても仕事のことを考え、夢と現実の境目すら分からなくなってしまってしまうほどだった。

それでもこの時「まだ大丈夫」と思っていた。
こういうことは度々あったからだ。


精神的なプレッシャーは常日頃からそれなりにあったので、もう感覚が麻痺していたのだと思う。


それでも体の不調は誤魔化せず、ものすごい腹痛に襲われることが増えて、仕事を休んだりするようになった。

そこで時々お世話になる漢方医にかかった。


私は腹痛を治す漢方が欲しいと言うだけだったのだが、私を見るなり「大丈夫?!」と不安そうな顔をした。

どうしてお腹が痛くなるのか?ご飯食べれていないこと、仕事場でも泣いちゃうこと、夜は眠れないこと。だんだんと先生が私の仕事や生活を紐解いてくれる。かくかくしかじか…でと現状を話すうちに私は涙が止まらなくなってしまった。


辞めようか悩んでいると言いつつも、この時まだ自分自身でも確信には至っていなかった。

休職も考えたが、どうせこの状況は誰にも理解されない。と相談する勇気がなかった。
そもそも休職して治るとは限らないとも思った。


先生は「まずは休んで元気になりなさい。辞めるのは簡単だけれども、辞めた後に後悔はしてほしくない。体や心が元気じゃないと自分が納得する判断はできないから、とにかく休みなさい。」

と言ってくれた。そこで初めて休もうと決心できたのである。


次の日上司と相談して計画的に20日間休むことになった。

それでも会社の事情なのか心療内科に行って、診断書をもらってきて欲しいと言われた。

わかる。そうじゃないと長期休暇の説明がつかないからね。


…………。


私は私の力でいつもの日常を取り戻したかった。

なのでそこは断った。

それでも治らなければ心療内科に行くと約束して、周りには胃腸炎ということで仕事を休むことになった。



そしてこの辺から徐々に明るい話になっていくのだけれど。
漢方医からは、昼寝をしてもいいので朝は一度起きて朝日を浴びる。少しでいいから何か口にする。あとはお散歩くらいでいいので少し運動して夜は寝る。これだけの約束をした。
あとは自由にやりなさい。何かあったらいつでも連絡をしていいからね。と言ってくれた。

上司もなんだかんだで優しく見守ってくれた。鍼灸医を教えてくれてそこに通うことにもなった。

通っているヨガの先生も心配してストレスを緩和するポーズを教えてくれた。

それから約束を守りながら、私は数日して好きなことをしようと思い、まずネイルをした。好きな服も着た。お化粧もちゃんとすることにした。アクセサリーや香水をつけてみたりもした。

友達が神社に行ったり山に登ってくれた。

一緒にご飯を食べてくれた。
誰かが一緒に来てくれると外に出る勇気も湧いて、誰かと話すと笑うこともできて楽しかった。
一緒に食べるご飯はいつもよりたくさん食べれた。
残したら私が食べるよと言ってくれると私も安心して好きな分だけ食べられた。


母も心配して実家に帰ってきたらと言ってくれたが、父といると傷つくことが多いのでそれは断った。
家では一人の方が気楽なのだ。
母は自分が行きたいという理由で私を長野の神社に連れて行ってくれた。
母と2人きりの旅行はこれが初めてだった。


職場の人の連絡は全て無視をした。
仕事のことは考えたくなかったから。


20日間のお休みって多分小学生以来だ。
中学と高校は部活があったし、大学ではバイトがあったので、何もなくこれだけ休むのは本当に久しぶりだった。


流石に20日もお休みがあると、仕事のことは全く忘れられる。
10日じゃダメだし1ヶ月では長いので20日というのが本当にちょうど良かったのだと思う。


そのうちにもやや無価値感を感じさせられるような連絡が来たりもしたが、おかげでその人がどんな人物なのか分かったような気がしたので、それはそれでいい経験となった。


それから私は復活を遂げて仕事に復帰することになる。


その時の私は
「嫌になったらいつでも辞めよう」
「大事なのは自分の健康だ」
「健康を害してまでここで働くことはない」
「いっぱいいっぱいになる前に仕事はちゃんと断っていこう」
「ゆっくり自分のペースでやろう」
と思えるようになっていた。

20日間の休みを経て、身体ってこんなに軽くなるんだ、心ってこんなに楽になるだ、ってことを実感した。
同時にもうずっと前、大人になるずっと前から楽に生きてこれてなかったんだなとも思った。

本当にいつからだろう。頭も悪いし、運動もできない。秀でた能力も容姿もない。頑張らないと自分は価値のない人間だとずっと思っていた。
結果が出なくても頑張り続けることが自分を救うことだと信じていた。

常に自分を誰かと比べながら生きていたことに気づいた。


それからは自分のペースで出来たりできなかったり。不調になったりすることもあったけれど、段々と自分は自分として生きていけるようになった。


そうして私は三十路を迎えることになる。


三十路を迎えてから勇気を出してゲーミングPCを買った。
今は趣味でVtuberをやっている。

誰も見てないのは流石に寂しいが、それでも自分としては満足している。


それから今年になって占いの勉強を始めてみた。昔から興味があって何度かみてもらったこともあったが、何故か自分でやろうという気が起きて今は西洋占星術の勉強をしている。
楽しい。


そうすると何故か本を読むようになって今まで大嫌いだった読書が楽しくなってきた。


植物なんかも買っちゃったりして毎日水をあげたいのをグッと我慢している。


当時は本当に、人生こんな目にあうことがあるのかと思っていたが、今思うと私にとって最大の転機になったと思っている。

あの経験があったから今こうして楽しく毎日を過ごせていると思っている。

それから人と比べるような日々の中で作られた、大切な友達たちや先生たちが私を支えてくれたからこそ、あの大変な時期を乗り越えられたとも思っている。
そう思うと人と優劣をつけながら生きる日々も、遠回りではあったけど、きっと意味があったんだなと感じる。

そうは言ってもまだ物凄く自然に人と比べながら生きてしまっている。もう少し時間がかかりそうだ。

婚活もしてみたが、Vtuberごっこや占いや友達と遊ぶことに勝る男性も見つけられず、今となっては全く婚活も諦めてしまった。
好きな人すらできない始末である。

それでも私はとっても楽しい。
仕事のプレッシャーを除いて。

そういえば漢方医の先生が
「あなたはあなたの良さがある。人の気持ちに寄り添ってあげられるのは誰でもできることじゃない。あなたはそれが自然にできる人なのよ。私の母は病気で亡くなったけれど、あなたのような人に見てもらったの。入院中は辛かったみたいだけど、母はその人に会うのが毎日すごく楽しみみたいでね。私はその人に母を見てもらえて本当によかった。だから私や私の母のように、あなたに感謝している人はきっとたくさんいるから、自信を無くさないでね。」
と言ってくれた。

この言葉と、元気がないと納得いく判断ができないよって言葉は一生忘れないと思う。





三十路をすぎて、私はやっと私らしく生きられるようになった。
人生を自分自身で歩んでいけている感じがする。
こんなことは今まで一度もなかった。
遠回りだったけどここまでたどり着けてよかったと思う。

とにかく心からワクワクすることをしたい。

やっと内側から前向きな人間になりつつある。

前向きであることは、失敗も経験になるからどんな物事も自分にとって利益をもたらすことだと知った。


なんでも挑戦する気が起きてくる。


どこにでも行ってみる気が起きてくる。


誰とでも会ってみる気が起きてくる。



人それぞれの試練とか辛いことがあると思う。
遠回りでも何回目でも必ずいつか超えられると思う。
辛いことがある人は逃げてみたり、戦ってみたり、人に言ってみたり、違う形で表現したりしながらちょっとずつ人生を進めてみて欲しいと思う。



それに思いもよらないところに助けてくれる人がいたりもする。



思いもよらない展開になったりもする。


時にすごく自然に自分の力ではどうにもならないようなことが起きる。

でも希望は捨てないで欲しいと思う。


だから私もきっといつか結婚できると思ってる(笑)



一緒に楽しいことをしてくれた人
一緒にご飯を食べてくれて人
電話をしてきてくれて人
何気ない連絡を毎日してくれた人
励ましの言葉をかけてくれた人
こっそり心配してくれていた人
元気が出るサポートをしてくれた人
私を待っててくれた人

みんなありがとう。


一つだけ本当に言いたいことは、もうみんな無理をしないで欲しいということ。体を大切にしてそれそれの舞台でみんな幸せに生きて欲しい。



終わり


この話はサターンリターンにピタっとハマるので土星の話はまた後日。

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