脇道

絵を描くことは自分には関係のないことだと長い間思っていた。
下手だしそもそも描きたいものもないし、授業中にてきとうに落書きしてみるかとおもっても描き出せない。
でも、今はたまーに描いています。

最初のきっかけはライブのチラシを描いたことで、ある人にツーマンライブに誘ってもらいその月にやったライブはたしか4つ。そのツーマンライブだけがチラシがなく、ツイッターにはる画像用にサインペンでノートに書いてみた。

たぶん2018年。なぜ描き直さなかったか聞かれて困った。

それは本当にひどい出来であり(久しぶりに見たけどひどすぎる)、しかし色んな人に「爆笑した」「狂っている」などのリアクションをいただき、「上手くなくてもやってみていい(自分は恥を晒せる)」と知れた。

二つ目のきっかけは、坂口恭平さんのパステル画をSNSで見たこと。坂口さんの絵は畑に向かう道中を写真に撮りそれをパステル絵の具?で描いたもので、自分もこんな風に描けたら楽しそうだと思った。

とりあえず家にあったクレヨンで適当に描いてみたら絵を描くというより、クレヨンの特性を知る+目に見えている色を正確に判断する(先入観をかわす)作業で絵心がなくてもできるとわかり、たまに描いている。
いいなーと思って携帯のカメラで撮る行為は一瞬だけど、それをもう一度時間をかけて行えるというのが尊い気がしていい。

ハガキサイズの小さな紙に書いたので激むずだった。
今はもうない大好きな喫茶店。
最近初めて人を描いた。下書きをどこまでするか。


「自分には関係のないこと」とはちょっと違うが、やることなく終わるだろうなと思っていたことを先日少しやった。お芝居。
子供の頃から超ミーハーで夕方やってる再放送のテレビドラマが大好きだった。『カバチタレ』とか『ランチの女王』とか『お金がない』とか好きだったなぁ。超ミーハーはすぐやりたくなるので役者さんには憧れた、、
大人になっても憧れはうっすらあって、でも恥ずかしくて口にも出せなかった。
それが「コント一緒にやる?(堀嵜さんは別にやりたくはないよね?)」と聞かれて一瞬迷って「やりたい。」とジャンプしてみれた。
やってみて本当に向いてないことが分かったけど、やれる(泳げる、くらいの意)ことが分かり嬉しい。

コントにはお笑いという要素もあるわけですが、わたしはお笑いがとても好きで、善きお笑い好きであるために芸人のネタを分析しない・論じないことを心がけているくらいなので、自らがやるのなんて頭によぎりもしなかった(本当にお笑いが好きなんだと再確認)。でもやってしまいました。

無関係と思っていたものがいくつも体内に取り込まれていることにふと気がつきとても不思議な気持ちだ。しかも一回飲み込んでしまえば次に手に取る時には勇気が必要なくなっている。
体温が低い夜には、「今まで何もしてこなかったので当然なにも持っていない」みたいな虚無に襲われることがあるけど、全然そんなことなかった。これからもそうです。

好きなお笑い芸人が「誰かを不安にさせない・笑わせるために行動する時、誰でも誰かのためのお笑い芸人だ。」というような文章を書いていてとても感動したのだが、そのこととは別にやっぱり今後ともお笑いをやるという事とは一定の距離をとっていきたい。

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