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マンガど素人の会社員がなぜ「マチネの終わりに」を連載できたのか?①

新人マンガ家のホリプーです。
4月中旬まで、「マチネの終わりに」という作品を連載していました。

僕にとってはこの作品で2019年10月にデビューとなり、半年間の連載を経験しました。

初連載。
400Pフルカラー。
アシスタントなし。
上巻は映画公開に合わせ、1ヶ月半で182ページを描き、
下巻は毎週16ページを描いていました。
(なんか最後は2週間で40ページくらい描いた気がする)

こちらで読めます↓

…今ここに書いて作業量にちょっと気持ち悪くなりました。笑
本当にやったんだっけ自分。

一生懸命取り組んだデビュー作、
4月25日には単行本下巻が発売となります。

半年で2冊も発売させていただき、本当に嬉しい!

『マチネの終わりに』とは

たった三度会ったあなたが、誰よりも深く愛した人だった
芥川賞作家・平野啓一郎さんの大人の恋愛小説。
クラシックギタリスト・蒔野聡史と国際ジャーナリスト・小峰洋子の切なくも美しい愛の物語。

2019年11月に福山雅治さん、石田ゆり子さん主演で映画化もされました。
原作は50万部を超えるヒット作。
豪華な実写映画も公開された中、そのコミカライズを描いたのは、なぜか、まともにマンガを描いたことのない僕。


当時このお話をいただいたとき、僕は、マンガ家としてデビューもしていないし、描いたマンガは自分のSNSにあげた数点のみという完全なる素人でした。まず、原稿用紙にどう描いたらいいか知らなかったし。。

そして、デザイナーの仕事はしていたものの、まだ会社に所属している身。サラリーマンだったのです。

このnoteでは、
マンガド素人会社員だった僕がなぜマンガ『マチネの終わりに』を描いたのか?
そして、描きはじめてからぶつかった数々の困難、課題について全3回にわけてシリーズで描いていきます!



第一章 「一緒にヒットマンガを作ろう」

2018年10月19日。
その日僕は有給休暇を取って、朝8:30に渋谷のコルクのオフィスにいた。

目の前には編集者・佐渡島庸平さん。僕の大好きなバガボンドを編集した人だ。

宇宙兄弟のロケットが発射するシーンが壁一面に貼られたコルクの打ち合わせスペースで、僕がInstagramに投稿してきた恋愛マンガ 『上下線のふたり』とイラスト『#本日のガール』を見せていた。

緊張して汗が額から滴り落ちた。
10月の末でもう結構寒かったはずだが、汗だらだらだった。

しばらく僕のマンガに目を通した後、佐渡島さんは言った。

「才能あるよ」

…!?

「一緒にヒットマンガを作ろう」

…………え?

驚く僕に佐渡島さんが渡したのは、小説『マチネの終わりに』だった。

『このマンガ、描いてみない?』

僕の人生が変わった瞬間だった。



そもそも会うことになるまで

僕は、2011年から8年間、食品会社のパッケージデザイナーとして働いていました。パッケージデザインに留まらず、商品開発やCM制作、社屋のデザインなど幅広い活動もたくさんさせてもらいました。

でも、実は様々な葛藤がありました。

先輩がやめて入社3年目でデザインチームひとりになって。
専門分野だから、誰にも頼れなくなって。
チームの確認書類、予算管理、出張…という事務的な業務ばかりをやって
本業のクリエイティブな時間はみんなが帰った22時から。

深夜2時。最終退勤のセコムを今日もまた俺が閉める。
セコムがうまく作動せず、帰りたいのに帰れない、なんて日もあった。

なんで。
帰り道、よく泣いた。

そんな日々を耐えて耐えて、
ようやく後輩が入り、仲間が増えたことで
デザインやCMなど多岐にわたる活動は
なんとか幅を広げられるようになったのでした。
仕事が楽しくなったのは、6年目くらいからだったと思う。

でもやっぱり、それまでの時間は、
自分のやりたいことを見つめ直すには十分すぎるほど長いものでした。

あれ?もともと自分は、絵を描くことが好きだったんじゃなかったっけ?

……そうだ。マンガ家になりたかったんだよ。


小学生の頃。ドラゴンボールや幽☆遊☆白書、名探偵コナンの絵ばかり描くお絵描き少年でした。中学に入ったらインターネットに絵を投稿したりして、HP作って。コピック買ったり、フォトショ買ったりしてさ。


当然のように漫画家に憧れて。

やっぱ絵、描きたいよなあ。。。

深夜ひとりのオフィスで缶コーヒーを飲みながらよく思い出してた。


ここに亡くなった母への想いも掛け算された。
自分のやりたいこと、やりきる人生にしないとだめだ。

すこし、足掻いてみよう。

という気持ちが生まれたのです。

そして、デザイナーとして働きながら、インスタグラムに絵を投稿しはじめました。

#本日のガール
この絵を描くきっかけになった話は別のnoteにもまとめてあるので
よかったらそちらも読んでください。
狂ったように女の子ばかり描いてます。笑

そして、ついにマンガにも挑戦し始めました。
それが、高校時代の僕の実体験を元にした
『上下線のふたり』

描くほどに絵も変わっていき、僕はマンガを描くことが楽しくて仕方がなくなってきました。気がついたら20話くらいのお話を毎週描いていて、連載のような状態に。

インスタのフォロワーが1万人をこえたくらいの頃、 なんと、このマンガが佐渡島さんの目に止まったのです。

最初のリプはもうどこにあるかわからんけど、
オフィスに持ち込みにおいで、と言われたあとのメッセージは残ってた。

そんなこんなで会うことになり、
その日にマチネを描くことになったのです。

僕の返事は、当然、「やります!!」だった。

この時の佐渡島さんの頭の中は
何回説明されてもよくわからないのだけど、
このnoteによると上下線のふたりの世界観や絵が描けるなら、きっとマチネも描ける!と信じてくれたらしい。

いやまじか?すごくね?
よくこんな素人に任せたな、佐渡島さん。。。


あああ、やります、って言ったけど、やっぱり不安になってきた。。。

つづく…


次回予告

さてさて、マチネの小説を渡され、
マンガを描くことになったホリプー。

実際描き始めてぶち当たる数々の壁!!
会社はどーする?
進まないネーム!
寝れない日々に限界を迎える肉体!!

カラダもってくれよ!
次回、怒涛の上巻編!
(あんま思い出したくないけど…)

余談だよん。  

ホリプーという名前は小学4年生の頃に友人の山岸くんから帰り道に名付けられたんです。本名の「高堀」の「ホリ」と、くまのプーさんみたいな体型だから「プー」。実は10歳のときからホリプー。本名で呼ぶ人は最近じゃ親戚と役所くらいです。

佐渡島さんに会った時、「なんて呼んだらいい?」と聞かれたので、
「じゃあホリプーで。」って言ったら、ペンネームになってた。

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