ココロザシナカバ~壮絶な自分史~ 第7話/60話:「バイト探しはタウンページ!」
【ここまでのあらすじ】
岩手→練馬→川口→浦和・・・と住まいを転々としてきた阿部家。
父のギャンブル好きが原因で貧乏で婦けんかが絶えない、
そんな一家が今回引っ越した先は茨城県。
家計を助けるために長女まゆみの取った行動は・・・。
社長室みたいなところでおじさんに色々と話を聞かれた。
このおじさんは社長さんで、自分としては面接を受けたと思っている。
どうして働くのかと聞くので、「家のためです、働かせてください。」とお願いした覚えがある。ジブリ映画の《千と千尋の神隠し》という作品の中で、千尋が湯婆ばと初めて面談するシーンがあるがあれにそっくりだ。
おじさんが何を言おうと「働かせてください!」と、問答無用でそればかりを言っていたような気がする。
なんと言っても電話帳で、た行のTメリヤスに行き着くまで何十社も断られているのだから、こちらとしては必死なのだ。
熱意が通じて働かせてくれることになったが、親と学校の許可をもらって来なさいと言われた。
親はいいとして、学校には何て言おうかとひるんだが、それでも翌日、校長室に行ってつるっぱげの校長先生に事情を話し、夏休み中働く許可を勝ち取ったのである。
ほどなくして夏休みが来て、私は朝8時から夕方5時までTメリヤスで働いた。
仕事は洋服のネームタグに下げ札(糸でぶら下がってる厚紙)をつけ
ることだった。
毎日毎日、オンワード樫山と書かれた下げ札を、洋服一枚一枚に丁寧に取り付けた。
時給は三百円で一日二千四百円と、私としては大金稼ぎだった。
母が毎日お弁当を作って持たせてくれた。
我が家はその会社の定める給与支給日まで経済状況が許さず、しょっちゅう私は前借りをお願いした。
おじさん(社長)はいつも気の毒そうに、前借り金の入った封筒を渡してくれた。
でもそのような顔はよそに、私はルンルンで持って帰った。
早く母に渡して安心する顔が見たかった。
私がこの就職活動で学んだのは、仕事の内容というより、電話帳作戦が功を成した経験だ。
何十社に電話をかけている時、全くあきらめなかったというか、漠然と必ずわかってくれる会社があるはずという確信があった。
11歳にしてこの経験は大きかったと思う。
根拠のない自信というやつをさらに強固にした。
Tメリヤスは引き続きこのあと冬休みもお世話になった。
家の方は相変わらずで、両親のケンカと虐待とジェットコースターのような経済状況は続いていた。
でも家のことを私は誰にも話さなかったし、誰も家に連れてこなかった。
どんなに仲良くなっても、自分のことをオープンに話さなかったのは、そりゃあ恥ずかしさもあるが、聞いた人の心の負担を考えていたからだ。
私の家が暴力と貧しさの毎日だと知ったら、例えばとくさんは私に大いに同情しただろう。
そんなのはごめんだ。
楽しく遊べなくなるし、気を遣わせるだけだ。
そんな私も無事に小学校を卒業し、中学に上がる時が来た。
中学校は町内6つの小学校の児童がすべて集まるという、町に唯一の中学校だった。
片道7キロほどある通学路を自転車で通うことになった。
そんな私には、小学校を卒業するちょっと前あたりから《ある噂》が流れていた。
つづく
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