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シン・仮面ライダー公開・その後。『エヴァンゲリオンの聖地と3人の表現者』刊行の後日談 ―仮面ライダー神社の発見—

◉『エヴァンゲリオンの聖地と3人の表現者』の出版

直木賞作家・古川薫、〈男はつらいよ〉シリーズでヒットした映画監督・山田洋次、エヴァンゲリオンシリーズで一世を風靡したアニメ興行師・庵野秀明ら、山口県宇部市出ゆかりの3人の表現者たちと、彼らの作品の源流を地方からあぶり出す『エヴァンゲリオンの聖地と3人の表現者』を3月半ばに出版した。

版元は宇部市制100周年を記念して宇部市とコラボで立ち上げた宇部市制出版企画実行委員会から、出版部門を独立させる形で立ち上げたUBE出版である。

◉庵野秀明論を書くきっかけ

今回の作品は、タイトルに「エヴァンゲリオン」の名を冠していることでもわかるように、アニメ興行師である庵野秀明の青少年期の紹介に、かなりの力を注いで書いる。おそらく、これまでも、そしてこれから以後も、脚色なしの庵野論は本書が最初で最後となろう。
 
本書の筆者でもある私は20年以上、主に福岡の弦書房に軸足を置いて、近現代史の人物評伝を書いてきた地方在住のノンフィクション作家である。
ノンフィクションの役目は、事実を事実として、後世に資料的価値が担保される形で正確に記録することである。
とはいえ、歴史ものばかり書いてきたので、藤山中学校及び宇部高校理数科の2年先輩だった庵野氏を題材とすることは、身近すぎる題材であり、正直、これまで書こうという気持ちはなかったのである。
 
それが「エヴァンゲリオン」のタイトルまで冠して出版することになった理由は、編集を手伝ってくれていたエヴァファンの若いボランティアスタッフたちが、ぜひとも取り上げて欲しいと言ってきたからだ。
宇部市が街おこしで「シン・エヴァンゲリオン」を活用していた関係もあろう。
そのアプローチが余りに積極的だったので、できるだけ郷土に密着した路線で、庵野監秀明論を書こうという意識に変わったのだ。
 
こうして、一昨年(2021年)の秋口から、私は庵野氏の同級生たちや学生時代の恩師などに聞き取り取材を始めたのである。当然ながら、取材対象者の多くが一般人のため、名前を出さないという条件付きで、取材に応じてくれた。むろん匿名を希望しなかった人は、実名で本書に登場している。

庵野氏一家が暮らしていた「明光荘」アパートの大屋さん一家が、昔の話を語ってくれた。左から松島明子さん(昭和45年生・長女)、松本銀次郎さん(オーナー)、田中要子さん(昭和46年生・次女)

◉奇妙なトラブル

ところが取材を始めてしばらくしたとき、庵野作品の著作権を管理する関連会社のK社長から、「取材をやめろ」と唐突に電話通告を受けたのだ。
本書に登場する本家筋の庵野壽一さん(津和野在住)から、「秀明さん自身のことは、身近にいた妹に聞くのが一番正確だろうから、妹の携帯電話を教えるから聞いてみられたらよい」と言われ、その番号に電話したところ、前出のトラブルに発展したのである。
とはいえ、妹さんに取材しても、これといった掘り出し情報はなく、挨拶程度の会話で終わったが、後で関係会社から「脅迫して取材をしている」などと言われて面食らったのである。
結局、一時間に及ぶK社長との議論も平行線のまま、自由に取材活動ができなくなった期間が続いた。
もちろん「脅迫」などしていないのだが、シン・エヴァで街おこしをしていた宇部市役所にも通告され、あらゆる方面から圧力や困難が降りかかるありさまだった。
日本のアニメ界の神様になりつつある庵野氏の周辺は、そのイメージ管理にうるさいとは聞いていたが、まさか、ここまでとは思っていなかったのである。

◉2022年7月号『ZAITEN』の衝撃

そこで東京在住の知人の編集者に、突如として身に降りかかった一連の出来事を相談したところ、経済雑誌『ZAITEN』(2022年7月号)で、「紫綬褒章叙勲〈エヴァ庵野秀明〉の取材圧力疑惑」という記事となって公表された。記事の発表まで、どういう経緯があったかは知らされてなく、私自身も驚いたのだが、このハプニング話は本書の「あとがき」でも書いたので、興味のある方は読んでいただきたい。

 さらに内実を明かせば、前出の言論圧力事件の直後に、庵野氏の宇部高時代の地学部天文班の先輩でった宇部市の岸田裕之さん(昭和53年・宇部高校卒)に取材を申し込んだところ、案の定、「脅迫して取材をしているそうですね。協力はできません」と強い言葉で罵られて、取材拒否にあったのだ。
すべてが、そんな状態で、「脅迫」という尋常ではない情報が一人歩きして、他の取材活動にも影響が出はじめて、途方に暮れたわけである。

◉「喫茶らいぶ」の訃報

ところが……、である。
この不可解な出来事の直後に、激しい言葉で取材を拒否した岸田さんが突然、亡くなったのだ。
警察が調べに来たとの情報も得たが、結局、死因は不明だったらしい。
奇しくも、『エヴァンゲリオンの聖地と3人の表現者』に掲載した岸田さんの経営する「喫茶らいぶ」の写真は、ちょうどこの問題の渦中で撮影したものである。私自身、写真を撮った直後に岸田さんの訃報を知り、驚いた次第だ。
ということで、この場を借りて、改めて岸田さんのご冥福をお祈りしたい。
なお、岸田さんの「喫茶らいぶ」は、2023年4月現在、すでに往時の姿はなく、うどん屋に変わっている。


岸田さんが亡くなった時期に撮影した喫茶らいぶ(2022年1月)

◉「シン・仮面ライダー」の公開

さて、それからさらに奇妙なことが起きたのだ。
岸田さんが亡くなったのを境に、再び同級生たちからの極秘取材が可能となったのである。そこで私は彼らの証言をつなぎ合わせ、庵野氏の足跡と作品の源流に、当初の目的どおりノンフィクションで迫れたわけである。
 
こうして、紆余曲折があったとはいえ、どうにか『エヴァンゲリオンの聖地と3人の表現者』が出版されると、庵野氏の新作「シン・仮面ライダー」が公開された。
実は、この映画撮影については、本書の編集中だった2022年秋に、UBE㈱(旧・宇部興産㈱)の宇部ケミカル工場内で撮影が進んでいたことをあるルートから仄聞していた。むろん極秘情報であったが、本年3月に公開されることも、私は知っていたのである。出版は、それに合わせたのだ。


映画公開を知らせる『シン・仮面ライダー』のチラシ

◉賛否両論のカオス

ということで公開された「シン・仮面ライダー」に期待に心躍らせて3月21日に宇部市のフジグラン2階のシネマ・スクエア7に見に行った。ところが若い人が多いかと思いきや、館に入ると年配の男性ばかりで、女性や若い人の姿がほとんどなかった。ついでに言えば、あれほど人気があるはずの地元出身の庵野氏の興行映画にかかわらず、入り口の「週末ランキング」が第3位だったのも、少し意外であった。


2023年3月21日 宇部シネマ・スクエア7「週刊ランキング」

◉「ネガティブな書き込みは、お控えいただきたい」

私自身の「シン・仮面ライダー」の感想は、ここでは控えたい。しかしネット上に次々とアップされた映画の感想を見ると、賛否両論が渦巻いていた。
加えて、庵野氏の映画製作現場に密着したNHKのドキュメンタリー番組が放送(2023年3月31日)されると、俳優やスタッフと衝突する場面が「パワハラ」ではないのかと話題になり、否定的な意見が再びネット上にあふれたのである。
 
これまでも庵野氏の作品では、こうした賛否両論は珍しくはない。
ただし今回は、私自身の取材中に体験した不可解な圧力と似たものに、観客が微妙に反応しているようにも見えた。
一方で、賛否の過熱ぶりに庵野氏側が慌てたのか〔※〕、「SNSなど不特定多数の方に目に触れる場でのネガティブな書き込みは、お控えいただきたい」とのコメントが発表された。まあ、実際は、何を言おうと観客の自由なのだが、気持ちはわからんでもなかった。

※ 「庵野氏側が慌てたのか」の表記について、本文を読まれた「のろくん」さんから以下の訂正コメントが2023年5月2日に届いたので、掲載する。

仮面ライダー神社の件、興味深く読ませていただきました。
一点気になったのは、映画シン・仮面ライダーについて『「SNSなど不特定多数の方に目に触れる場でのネガティブな書き込みは、お控えいただきたい」とのコメント』をTwitterに投稿したのは、平山満氏という故平山亨氏(仮面ライダーなど数多くの東映特撮ヒーロー作品を手がけたプロデューサー)の子息で、同氏は庵野氏側や東映とは無関係な人物です。
※平山満氏の当該ツイート
https://twitter.com/rider_producer/status/1643490535062269953?s=61&t=jTEUg2s0qs1QmuBQmP5Ehg
「エヴァンゲリオンの聖地と3人の表現者」も先日電子版にて購入させていただき拝読しましたが、上記のような事実誤認は些か残念です。
なお、私も庵野氏側の回し者ではありません念のため。

以上の「のろくん」さんからの指摘を尊重して、本文中の「庵野氏側が慌てたのか」の表記は削除する。

さて、話を戻すが、興行映画とはいえ、なにゆえ「シン・仮面ライダー」は、これほどまでに賛否両論が渦巻いたのであろうか。
考えられるのは、庵野氏が得意とするアニメ興行それ自体が、そもそも限られたファン層のオタク文化から生まれたことが原因かもしれない。
わからない人は永遠にわからないし、わかる人には、わかるということなのであろう。
問題は、その振幅の大きさなのだ。
同時にまた、そこが私には興味深かったのでもある。
だからこそ、「シン・仮面ライダー」のコアなファン層は3回も4回も繰り返し映画を見て熱弁をふるうし、無関心な層は「庵野秀明って誰なんだ」みたいな両極端に分かれるのである。そして両者は時として、激しく対立するのでもある。
言ってみれば、これが庵野秀明現象なのである。
 
とはいえ、作品の良し悪しや、好き嫌いとは関係なく、庵野氏の地元には別の意味での関心の持ちようがあった。それは郷土が、庵野氏や氏の作品に、どういう影響を与えているかという興味なのである。
若いボランティアスタッフたちが、私に特別な庵野秀明論を書かせようとした背景も、実はそこにあったのである。

◉仮面ライダー神社の発見

こうした郷土というパラダイムの中で、「シン・仮面ライダー」への興味深い情報が、4月に入って、またもや若手スタッフから私の元に飛び込んできたのである。
「仮面ライダー神社というのが、宇部にあるの、知ってましたか?」
唐突な問いに、私は、「そうなの?」と驚くほかはなかった。
むろん知るわけがない。
聞けば、宇部市の吉部稲荷神社という小さな神社に等身大の仮面ライダー像があったというのだ。そこで、「ぜひとも取材をすべきです。取材してくださいね」と念押しをされて、この文章を書くに至ったわけでもある。
 
正確に言えば、宇部市東吉部の吉部稲荷神社にあったのは仮面ライダーブラックRXの等身大のフィギアであったようだ。それが、少し前まで本殿に据えられていたのだという。ゆえに「仮面ライダー神社」と呼ばれていたわけである。
さっそく、現場近くに住む郷土に詳しい重枝尚治さん(昭和34年生まれ)を取材すると、稲荷神社を護っていた佐々木丸正さんが5年前(令和元年)に80代半ばで亡くなるまで、そこに安置されていたらしいことがわかった。


地元に詳しい重枝尚治さん(昭和34年生まれ)

筆者「〝仮面ライダー神社〟があったと聞いて来たのですが、なぜ稲荷神社に仮面ライダーなんでしょうか」
重枝「吉部稲荷神社のことですか。あれは、もともと佐々木丸正さんの奥さんの親であった井上富勝さんがはじめた新しい神社です。それで佐々木さんご自身は、東映の社員として大道具とか小道具の担当をされていたようなのですが、もう、30年くらい前になりますかねえ…。昭和の終わり頃に井上さんが亡くなられて、神社を継ぐために早期退職されたのです。そのときに仮面ライダーの着ぐるみを作っていたレインボー造形企画という会社の社長さんが、〝神社を継ぐのなら記念に〟といって、おなかのベルトを開けるとおみくじが引ける仕掛けの仮面ライダーをわざわざ作って、佐々木さんに差し上げられたのですよ」
筆者「それを佐々木さんが、自分の神社の本殿に飾っていたというわけですか。それは、ご神体みたいな扱いだったのでしょうか」
重枝「いや、ただ、本殿に飾ってあるという感じでしたね。別に神様として祀ってあったとか、そういうことじゃないんですよ。ボクらもお参りに行ったときは、本殿の中にありましたしね。ところが令和元年に佐々木さんが亡くなられて…。もともと井上さんの家というか、佐々木さんは、ですね…、吉部八幡宮の氏子だったので、吉部八幡宮の社家に養子に入られた野村敦さんが、藤山の西宮八幡宮に禰宜をされているので、佐々木さんの娘さんと話し合って、そっちに持っていったと聞いております」
 
『改定 吉部郷土史話』(平成13年刊)に、吉部稲荷神社の説明が出ているので、少し確認しておこう。
それによると、井上富勝氏は若いころから信仰が深く、昭和30年に御神示がおりて、同43年に社殿を建てたのだそうだ。井上氏は布教活動にいそしみ、九州、広島、大阪、東京まで信者を集めて、昭和55年に新しい社殿を建てていた。これが現在、廃墟となって残る吉部稲荷神社のようだ。そこで娘婿の佐々木丸正氏が、義父の死に伴い東映を退社して神道扶桑教大教庁に赴いて、2代目の「神司」になったのだとか。「神司」という表記が、やはり新興宗教っぽい。
 
そこで実際に訪ねると、榎田橋のところに「吉部稲荷」と扁額に文字が刻まれた赤い鳥居が建っていた。そこから山を登るコンクリートブロックが置かれた坂道が伸びていた。
登っていくと、森の中に人気のない本殿が現れた。
そこが、仮面ライダー神社と呼ばれていた吉部稲荷神社だったのである。

「仮面ライダー神社」こと、無人の吉部稲荷神社(2023年4月)


本殿の中を覗くと、問題の仮面ライダーの巨大フィギアは無くなっていたが、奉納の証拠となる半紙が貼られ、次の墨書が確認できた。
「昭和六十二年九月吉日 毎日放送 仮面ライダーブラック 東京都八王子市大塚七八一ノ八 レインボー造形企画 代表 前澤範」
壁には仮面ライダークウガの仮面が残されていた。
こちらは「平成十二年十一月吉日 仮面ライダークウガ 東京都八王子市大塚七八一ノ八 レインボー造形企画 代表 前澤範」と墨書された半紙が貼られている。
やはりレインボー造形企画の前澤社長が後に奉納したもので、仮面ライダー神社と呼ばれた理由が理解できた。


吉部稲荷神社本殿内に残されていた仮面ライダークウガの仮面(2023年4月)

◉西宮八幡宮に移った仮面ライダー

つぎに問題の仮面ライダーブラックRXの移転先である宇部市の西宮八幡宮を取材してみることにした。
実をいえば、この神社は、私の事務所(UBE出版)の近くにあり、以前に総代の古谷博英さん(故人)からの依頼で、社史『藤山総鎮守西宮八幡宮 ご鎮座二百九十五年式年大祭記念誌』(平成20年刊)を作成する際、原稿執筆(「西宮八幡宮と藤曲浦の歴史」)のお手伝いさせていただいた。そこが、新たな「仮面ライダー神社」となっていたのも、不思議な縁に思われたのだ。

新たな仮面ライダー神社?「西宮八幡宮」(2023年4月)

ということで、期待に胸を膨らませて西宮八幡宮を訪ねたのだが、意外にも野村敦禰宜は元気がなかった。
野村「うちに持ってきた仮面ライダーの写真をとられるのですか…。うーん、困ったなあ…」
筆者「どうしたんですか。元気がないですね」
野村「以前は、ここの本殿に置いておったのですが…。子供たちが見て喜んでいたのですがねえ…。それが東映からクレームの電話が来ましてね」
筆者「クレームですか?」
野村「そーなんです。神社で使うなってことなんですよ」


東映に叱られて意気消沈している野村敦禰宜(西宮八幡宮境内にて 2023年4月)

筆者「それでは、仮面ライダーを処分されたのですか」
野村「いえ、あることはあるんですがね…。今はそういうことで、人目につかない社務所に置いていているんですよ。以前に、社殿の前に置いていた仮面ライダーの写真を撮ってツイートした人がいましてね。どうも東映がそれを見つけて神社に電話をかけてきたようなんです。だから参拝者が、見たり、写真を撮るだけならいいのですが、それを新たにネットなどに出されると、私がまた怒られるんです」
話を聞けば、一筋縄ではいかぬ気の毒な事情があった。
そこで社務所で仮面ライダーの取材はしたものの、全体写真が出せないので、以前に問題になったという、今でもネット上で閲覧可能の写真を紹介するにとどめよう。
繰り返すが、これは私が撮ったものではなく、「西宮八幡宮に仮面ライダーBLACK RXの等身大賽銭箱があるらしい」と言葉を入れて検索すれば、だれでも自由に閲覧できる投稿写真である。

従って、写真撮影が不可となっている西宮八幡宮の社務所に、この仮面ライダーブラックRXが保管されているわけなのだが、なるほど、おなかのベルト部分がフタになっており、それを開くとおみくじが入っていた。参拝者がおみくじをひける仮面ライダー型おみくじフィギアだったのである。
 
ちなみに、全体像の写真撮影は不許可であったが(そもそもレインボー造形企画が独自に開発したおみくじ用の仮面ライダーフィギアなので、厳密な意味でホンモノそっくりでもなく、全ての著作権が東映にあるとも思えないのだが)、ベルトを開けたおみくじ部分のデザインは東映側のオリジナルとは全く異なり、この部分だけは著作権に触れないと思われたので、そこだけの写真を紹介しておこう。

おみくじ用仮面ライダーブラックRX(西宮八幡宮の社務所にて 2023年4月)

ということで、謎めいていた仮面ライダー神社の全貌が見えたので、この話は、一度この辺りで、とめておきたい。
また、若いスタッフから、なにか情報が来るかもしれないので(終)


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