宇部詩人◉永冨衛さんシリーズ④
④〝大発見〟も束の間
詩「思ひ出」に出てくる「煉瓦干されて赫々してゐた」は、天日干しをする桃色れんがか? 焼成する赤れんがのことか? それを解き明かすための東見初、村松、丸尾といった固有名詞は詩の中に出てこない。いずれにしても中也が宇部地域の海辺を歩き、れんが工場をモデルにして書いた可能性が高いと考えるのが妥当だ。
今回のエッセイでは、半世紀前に購入した「中原中也詩集」(河上徹太郎編・角川文庫)と、古本屋で入手した1963年発行の「中原中也全集」(小林秀雄、河上徹太郎、大岡昇平、中村稔編纂(へんさん)・角川書店)を参考にし、インターネットからも詩「思ひ出」を抽出した。
この原稿を書いているさなか、赤れんがを生産した宇部市西岐波地区の西岐波郷土史研究会(和田宏司会長)から講演を依頼された。テーマは「中原中也の『思ひ出」-宇部の煉瓦工場から』」。講演の資料作りのため、1936年8月号の文学界に掲載された詩「思ひ出」の誌面データを、中原中也記念館からお借りした。183~186の4ページにわたって、である。
聴講者に詩「思ひ出」を配布したいと和田さんが申し出られたので、ボクが所有する角川文庫の「中原中也詩集」をコピーされてはいかがでしょうかと提案。併せて中原中也記念館から借用した文学界の「思ひ出」のデータを持参した。
お渡ししたその夜、「詩集の文字が小さいのでパソコンで打ち直していると、最後の連で立ち止まってしまった」と困惑めいた電話が入った。詩集をめくりながら元原稿と照らし合わせての作業。最終連の1行目で不思議な現象に出合ったのだ。
それは詩集の「その眼怖くて、今日も僕は」が、元原稿には「その眼怖くて、僕は今日も」と印字されている。和田さんから「どういたしましょうか」と相談を受け、ボクは「もちろん元原稿の方を使ってください」と即答した。「僕は今日も」が「今日も僕は」である。「今日」と「僕」のいずれかを強調するか。詩を締めくくる最後の連の大切な1行。明らかに詩集の誤植だと確信。「中原中也全集」もインターネットからの抽出も同様であった。
これまで中也の詩はたくさんの研究者や愛好者によって研究され親しまれてきたけれど、「思ひ出」はあまりその対象ではないという表れか。中也が書いた360編以上のうちの1編に光がほとんど当てられていない証しだと勝手に解釈した。もしも、「誤植だった」のが正しいならば、〝大発見〟である。元原稿と詩集の中身を確認する作業は常識的にはしない。ましてや長い詩の一字一句、そしてキーワードでもないのに、である。
この件を中原中也記念館の池田さんにメールで問い合わせたところ、返事がきた。
それによると、ボクが所蔵する詩集「在りし日の歌」の発行後の詩集には入れ替わって収録されている由。つまりボクの詩集は最終形態の「在りし日の歌」に則(のっと)っているという。補足として、文学界発表の「在りし日の歌」では他にも異同がある。7行目の「やつてきたれど」は「在りし日の歌」では「やつて来たれど」となっている。
詩集は中也死後の出版なので、これらの異同が中也の意図を反映しているかどうか、中也の校正を経ていないため、よく分からないということだった。要はボクが持っている詩集は誤植ではないのは確かだ。そんな説明だった。
確かに詩集「在りし日の歌」は中也死後の出版だから、詩集作製に中也は関与できないわけだから、修正や変更に、人的作用が働いても不思議ではないと言ってもいいのかもしれない。どこの時点で誰が? しっくりしない。