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《予祝》のゆりかご~ 高木正勝「Marginalia Ⅳ」&たかぎみかを展から~

「窓を開け 自然の音を受け入れる 心を開いて こちらのピアノをまじらせてもらう 光も雨も風も 鳥も虫も獣も 山も空も人も いまという二度とないこの瞬間を ここに集まった皆で 一緒にあそぶ 季節を生む いのちを生む いのちがよろこぶように あたらしいいのちがやってくるようにそれだけを願いながら演奏しました

マージナリア 第4集は 妻のお腹に いのちが宿っていた季節に録音しました すべてのお母さんへ」

その高木くんのコメントを読んでから「Marginalia Ⅳ」を聴き始めると、一曲目のピアノがまるでゆりかごの中の赤ちゃんが大事に大事にお母さんに揺られているように聴こえる。実際にみかをちゃんのお腹の中に赤ちゃんがいる頃に録音された曲だろうから、お腹の子に聴こえるように子守歌のように演奏されたのだと思う。この心がまぁるくなる優しい曲を聴いていると、みかをちゃんの個展で見た数々の絵を思い出す。
(現に僕の妻のお腹にいるうちから高木くんの音楽を聴かせていたうちの幼い娘たちは車でMarginaliaが流れているとすこぶるよく寝る)

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高木正勝フライヤー裏

2年前、高木くんのエッセイ集「こといづ」とアルバム「Marginalia」の発売記念で福島・仙台・山形とまわってもらう際に、福島の会場であるヤブウチビルにギャラリーが併設されていることから正直ダメ元でみかをちゃんに絵画展開催の打診をした。それまでも何度か高木くん夫婦と一緒に旅する機会はあったけど毎回高木くんのお手伝い的にみかをちゃんに来てもらうのもなんだかとてももったいない気がしていたし、なによりみかをちゃんの絵がどんどん伸びやかによくなっている印象を持っていたから。ただ、みかをちゃんの立場で考えたら、遠く離れた福島で初個展を開くってなかなかハードルが高いし、モチベーション作るのも難しかったと思う。
(実際、作品発送の梱包ほか諸々相当大変だったと思う。あらためて受けてくれて、ありがとう!)

みかを

そして開催された「たかぎみかを展」。今でもときどき思うけど、これはちょっと不思議な体験だった。みかをちゃんの絵は高木くんと結婚してから描き始めたから決してうまくはないのだけど(みかをちゃん、ごめん)見飽きることなく1つ1つの絵をずーと見ていられる。延々と見ていられるので自分の中で見終えたという句点が打てず、その絵を見ている時間が止まったように、無時間の中にいるようになる。特に絵が抽象的になるMarginaliaシリーズ以降は、どんどん線が境界線ではなく周りと浸透しあいながら繋がりあっている無碍とでも言えるようなあわいの状態になり、その絵の中に時間が内包され生命が蠢ているような感じがとてもした。
あぁこれは受精卵だなぁと思って、その場では口にしなかったけど、きっと近い将来この夫婦には赤ちゃんが来るんだろうなぁとそう思った。
個展の会期中、店番をしていた僕を気遣って高木くんもみかをちゃんも店番代わるよとよく言ってくれたのだけど、僕がトイレ以外で店番の交代を拒んだのは二人に気を遣ってではなく、本当に展示されていた絵を見ていたかったからで、今振り返って考えるとあのみかをちゃんの絵を見ているときに感じた無時間と高木くんのMarginaliaを聴いている時に感じる余白はとてもよく似ているように思う。二人の顔も年々だんだんと似てきたし(笑)
(この貴重な機会を作ってくれたOPTICAL YABUUCHIの藪内くんと福島の司会&スーパーアテンドをしてくれたBooks & Cafe コトウの小島くんに多謝‼)

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それから約1年後のある日、不意に高木くんからの電話が鳴った。それはちょうどうちのばあちゃんの葬式が終わって、自宅に戻り、喪服のネクタイを外したか外さなかったかのタイミングだったと思う。あまりのタイミングに「相変わらず何か持ってる人だなぁ」と思いつつ僕もかなりぼんやりしていたので、少し落ち着いてからかけ直すと僕の祖母の容態を心配する電話だった。残念ながら今日葬式だったと伝えると、高木くんは電話越しに僕を気遣いながら、そのあと少しもじもじとしてゆっくりと赤ちゃんができたこと、そして来春の朝ドラの音楽を担当するかもしれないことを教えてくれた。
それを聞いて、コロナ禍で入院したため最期をちゃんと接することができず何か終始実感が持てていなかった祖母の死の哀しみと長年の不妊治療の末にようやっと高木くん夫婦に赤ちゃんがやってきたことの喜びの両方が僕の中で一気に爆発して、自分の頭の上の方から何か変な声が出た。
その声を聞きつけた幼い娘たちが電話していた僕の部屋になだれ込んできてしまい、葬式の最中寝まくって元気の有り余っている娘たちが近くでワーキャーやるものだから、結局その後高木くんと何を話したのかあまり覚えていない(笑)。ただその電話の最中に、不意に僕はあのみかをちゃんの絵のことを思い出していた。

卵

まあるい、まあるい、みかをちゃんが描いた絵。受精卵にも思えたあの絵。それに似た大事なかけがえのない玉のようなものをごく最近見たことがあると僕は思い出していた。それは病院から祖母危篤の知らせを受け、コロナ禍でずっと立ち会うことはできないが最期だから交代で親族が祖母と面会してよいとされたとき、もはや自らの呼吸が困難になっていた祖母に酸素マスクが付けられ、マスクからわずかに吐かれた息がその先の容器の水中に1つの気泡となって現れたときだった。僕にはその気泡の1つ1つが祖母の命そのものであり、祖母の残された時間そのもののように思えた。もしかしたら、そのイメージは昔しりあがり寿さんの漫画か何かで見聞きしたイメージの残像だったかもしれないけれど、僕には目の前のその空気の粒1つ1つが本当にとても大切に、大切に思えた。
面会時間終了を告げるため部屋をノックした看護師さんが、人には最期まで聴覚は残りますから何か話かけてあげてくださいと教えてくれた。僕は祖母の耳元で感謝を伝えて、看取りを許された父と部屋を交代した。
病院の外に出て、夜道を歩きながら、その連絡を待った。父が山に独り暮らしの祖母のために毎朝祖母の家に行き、夏は農作業、冬は膨大な量の雪かきをしていたことを思い出し、誰かひとりというならやはり父が祖母を看取る資格があるだろうし、ばあちゃんもそれが本望ではないだろうかと。
そんなことを思いながら月を見上げると自分の娘が生まれたときのことが浮かび、出産時の妻の呼吸に導かれて分娩室にゆっくりと起こった波の満ち引きと、そうやって生まれた我が子に最期を看取られながらあの波の中へ還ってゆく命のことを思った。

高木くんとの電話を切った後、僕は騒ぎ立てる娘たちを追いかけながら何か心底ほっとして少し泣いたことを覚えている。

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祝意と弔意、「はじまり」と「おわり」。
今、「Marginalia Ⅳ」とみかをちゃんの絵のことを思い浮かべると、
生まれてくるいのちのことだけでなく、その円環のときを予祝しているように僕には聴こえる。

最後に今まで何度も言ったけど、この場でも改めて言おう、高木くん&みかをちゃん、本当におめでとう!よかったなぁ。

いつかまたヤブウチビルで高木くん夫婦の個展とミニライブやりたいなぁ。
今度は二人でなく三人を招いて。

めい マージ


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