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私の半生

この記事はcrieitのなんでも Advent Calendar 2019の26日目の記事です。

きっと半生を振り返り公開することによって、何か気づきを得る&心の整理がつくはずなので振り返ってみる

先に文末にあるまとめです

・常に無茶し続けると肉体的・精神的にくるので、無茶しない方がいい
・ そういう環境にいるのなら、逃げて環境を変えたほうがいい
・夢があるならさっさと挑戦したほうがいい
・でも、ルールを守らないと消される(アカウントを)
・挫折したとしてもまた立ち上がれる
・刺激的な人の近くにいると刺激がもらえるかも


生まれる

茨城県の田舎、メガネ&時計店の長男として生をうける。
ちょうどバブルの時期だったらしく父はメガネ&時計店から宝石店へ路線変更した。
父は、今でこそ営業トークのベテランだが、自分と同じ物静かで口べたで人見知りな性格だったらしい。
よく営業全開な方向に路線変更したなと関心するし、すごい努力家だということは知っている。

ドーピング事件

父も母も自分たちのお店のために、每日リポD(たぶん、今ならレッドブル)を飲んで1年中朝から晩まで休みなくよく働く。
その働きでジャスコの1店舗に加わるほどだ(都会で例えると銀座通りにお店ができるようなもの)
ただし2人とも何度も倒れているので、每日ドーピングしてまで働くのはオススメしません。
親の無茶して働く姿をみて、自分はなるべく熱心に働くのはやめようと強く思うようになった。

高校の進路

そんな心を見透かされてかわからないが、営業に向いていないなど色々な理由で、実家を継がなくていいしむしろ継ぐな宣言。
継ぐものだと思って、適当に学生時代をすごしていたので、本当に每日ゲームしかしていないし、高校3年の進路希望も実家を継ぐと書いていた。
なぜ、もっと早く言ってくれなかったんだ...この時期にいきなり言われても、いまさら大学進学も間に合わんぞ...
ということで専門学校にいった。本当はゲームやグラフィック系の専門学校に行きたかったが「ゲーム=遊び」な考えの親なので、反対されIT関係(情報処理系)に。

目覚めない

なんとなくで入学した○原専門学校。資格を取得するためずっと座学。
プログラミングやらんのかーい...。まだまだプログラミングとは縁がない模様。
とりあえず就職は、ゲーム系はブラックな環境が多そうなので、プログラマーになりたいな〜と思い始める。

就活氷河期

IT系、20社ぐらい受けて全滅でした。
別に大手や有名な会社じゃなくても、定員5人に対して応募50人とかそんな感じで、何もない自分が選ばれる感じがまったくしない。
専門学校でプログラミングもやっていないし、あるのは基本情報の資格だけだ。他に学生時代にやってたことで、ハンゲームの大富豪やボンバーマンオンラインなら誰にも負けない自信はあるが...。
今思うと本当にプログラマーになりたいなら趣味でプログラムしたりするんだろうけど、入社してから勉強すればいいかという甘々な考えだった。
20社ぐらいで心が折れて、とりあえず就職できればいいやとITとは関係のないデータ入力の会社に正社員で入社する(すんなり受かった!?)

※「プログラマーになりたい?それなら今すぐコードを書け」という教訓があるが本当にそれ

人間をやめる

「紙のデータをWordに打ち込んで完成したものを大量に紙に印刷する」という今思うと謎の仕事である。

IT系ではないといえ、自分でも入社できたということは...つまり、仕事がきついのである。
1年のうちの半分以上は夜勤生活。
太陽が落ちたら目覚めて、太陽が登ったお昼に寝るという真逆の生活。
休みの日でもそんな時間帯に楽しめるはずもなく、何も楽しいと思えなくなった。
その会社は1年で辞めた。

※もっと早く気づいて辞めるべきだった...。そもそも無理に入社しなければよかった...

人間にもどる

会社をやめて、働かないことにした。
ゲームしたり、漫画読んだり、服を買ったり、髪を伸ばして染めたり、映画に行ったり、やりたいと思うことをひたすらした。
そのあと、自分は何がやりたいのだろう?と考えた。
答えはすぐにでた、ずっとゲームを作りたかった。

はじめの1歩

その頃は、個人ホームページ全盛期だった。
どうせなら、Web上で公開できるゲームがいいな〜と思ってWWAに出会った。
WWAは、誰でも簡単にゲームが作れてJavaアプレットでWeb上に公開できるものだ。
そこではじめてHTMLやCSSを独学で学び、ホームページ上に自分の作ったゲームを公開した。
あたり前だが宣伝しないと誰も来ない。色々なところに登録や宣伝をして見知らぬ数人に遊んでもらえた。純粋にうれしかった。
掲示板もつけて感想をもらおう、カウンターやCGIゲームもつけて盛り上げよう。

無限ループ事件

その頃は、個人ホームページ全盛期でもあり、FlashとCGIゲームの全盛期でもあった。
CGIゲームを自分でオリジナルに改造する方法がWikiに説明があった。
最初は意味もまったくわからない。まるっとコピペして色々試してみた。
今なら時効だから言うが、何度もさくらのレンタルサーバーを無限ループさせていたのは私です。負荷を高めてすいませんでした。。。

派遣時代

会社を辞めて半年、そろそろ貯金がやばいので派遣社員で働くことにした。
派遣社員のメリットはなんといっても、月〜金の陽があるうちに働けて残業がほぼないことだ!すごい!
最初の派遣はホームページを調査をする仕事で、とても簡単で楽しかった。
次の派遣は、CGIのためにPerlを学べるところを希望した。

半年間レンタル(派遣)何もしない人

運良く未経験でもOKな職場が見つかった。
作業内容は、電話番/事務雑用係だった(?)
いつになってもプログラミングの仕事をもらえず、雑用ばかりでずっと放置されていた。
放置されすぎて暇すぎてやめたい旨を派遣会社に伝えた。
「暇な時間は自分の時間だと割り切って好きなことしちゃえばいいんだよ」と派遣会社の担当の人言われた。
それならばとCGI/Perlを勉強する時間だと割り切って
箱庭や罪と罰などの配布れていたCGIゲームすべてをDLして、ソースコードを読んだり改造してホームページに設置したりしていた。
そして、半年が過ぎた。
※あとで職場の人に聞いたら、元々雑用係を求めていて、プログラミングさせるつもりはなかったらしいとのこと(え...)

K師匠に教えてもらう

半年間CGI/Perlを独学で勉強するヤツだと認められ(?)
プログラミングを教えてもらえるようになった。
そして、念願のプログラミングの仕事もやらせてもらえるようになった。
プログラミングのイロハを知らなかった自分は、独学で学んでいたときの何十倍も学ぶことがあった。
そのとき教えてくれたK氏は、自分の人生の中で唯一の師匠だと今も思っている(連絡先を聞いておけばよかった...)

CGI/Perlの目覚め

めきめきとPerlの技術を学んだ自分は、今なら何でも作れるのでは?と思い
CGI定番の掲示板、チャット、カウンターなどをゼロから作って配布した(現在配布サイトは閉鎖)
そして、CGIゲームも作ってみた。
CGI全盛期であればWikipediaのCGIゲーム一覧にのれた自信はある...が時代がおそかった(何度か載ったがすぐに修正合戦が行われた)
と思ったらのっていました(!)
https://ja.wikipedia.org/wiki/CGIゲーム の @パーティー2、Blind Justice

結婚&ねこと暮らす

ペット可のマンションに引っ越して結婚してねこを飼う。
小さい頃、父親が大の猫嫌いだったため、できなかった念願のねことの暮らし。

たぶん、小さい頃にねこがいれば、今とは違う人生になったと思う。
そのくらい今の自分にとってはねこの影響が大きすぎる。

ねこは情緒不安定な人にはオススメ。ねこはセラピスト。ずっと空いていた心の穴が埋まり、本当の幸せを知った。
ねこのために頑張ろうと決意する。

※奥歯が痛くなり歯医者にいったら「最近、歯ぎしりとかしてないですか?」と言われた。本当に幸せすぎると自分は歯ぎしりをするらしい

すべてはねこのために

CGIゲーム!CGIと連動したWWAゲーム!毎月ゲームのアップデート!イベント開催!
ねこのために!の勢いはすごかった。今までで1番頑張ったと思う。
Google AdsenceとモリタポからのAmazonギフト券交換などを合わせ
毎月5000円以上の収入が半年くらい続いた。
この調子で働かない生活を手に入れよう!

そうはさせるか!

うまくいけば、悪いこともある。
風邪をひいた。メールに気づかなった「規約違反だからいますぐに修正しないなら、Google Adsence のアカウントを削除する」
そして、アカウントが消えた。
アドセンス以外の広告に変えてみたが収益は1/5以下になった(広告の種類が少ない、1クリックの収益が少ない)

モリタポからAmazonギフト券に交換しているサービスも終わった。
そして、東日本大震災もきた。
タイミングよく色々な絶望が重なりすぎた。

※アドセンスは広告の位置が規約違反だったようです。ギリセーフはたぶんアウトで、半年後とかの時間差でいきなりくるから気をつけてください

まったり生きることにする

震災がおきてから、生きているだけで十分ではないか、まったり生きよう、と個人開発をする気力はなくなっていた。
そのタイミングで先輩のK師匠は転職し、自分が後釜として派遣社員から正社員になった。

F氏が来た

それから数年間、仕事でPHPやAWSやらを経験してちょうどReactをやっていた。
React Nativeで何かアプリ作れそうだな〜、でも、まぁいいか〜と、まったり生きていた。

そんなときに、F氏が契約勤務で来るらしいと聞いた。
F氏ってたしかQiitaで時の人の!?あんな人が、なんでうちの会社にくるんだ!?とビックリした。
やばい、自分も何かやらなければと、よくわからないあせりを感じた。

時が動き出す

とりあえず、もう適当でいい、完成して世に出してしまおう。
気づいたら、React Nativeでゲームアプリを開発していた。
1週間くらいで完成させた「21を言ったら負けゲーム」

Appleの審査は担当ガチャ

BGMも画像もなく、画面も2画面、こんなしょぼくてAppleの審査に通るのだろうか?
1発で審査を通過してそのまま公開されてしまった。
もちろん宣伝もなにもしていない、当日のDL数は、たしか7くらいだった。
宣伝しなくても7ってすごい!これはいけるのでは!?と感じた。

アプリはチョロい?

Web時代は宣伝しないと0があたり前だった。
色んな所に登録したり告知してようやく2桁いくかどうかだったのに比べると、これはかなりチョロいのでは?と思った。
そのあとに自信作をリリースし登録や宣伝をしたが、そこまでチョロくはなかった。。。
でも、やっぱりWebと比べると楽な気がする。

F氏が隣の席にきた

なんか隣の席になった。もっとやれってことなのでしょうか。
同じ日にそれぞれのWebサービスとゲームアプリをリリースした。
日々のプレッシャーがやばい。F氏の頑張りや成長がまぶしいし、強い。

これから

2度目の挫折(大地震や病気やアカウントバンなど)がないことを信じて、これからも個人開発を続けていきたいと思う。

冒頭にあったまとめです

- 常に無茶し続けると肉体的・精神的にくるので、無茶しない方がいい
・そういう環境にいるのなら、逃げて環境を変えたほうがいい
・夢があるならさっさと挑戦したほうがいい
・でも、ルールを守らないと消される(アカウントを)
・ 挫折したとしてもまた立ち上がれる
・ 刺激的な人の近くにいると刺激がもらえるかも

この記事は下記のきんみさんの記事を読んで、触発された勢いで書いた記事になります。
https://crieit.net/posts/b65b1da3aaaca6b4260d9e9065dd6aaf

周りに刺激的な人なんていないんだけど...って人は運営者ギルドに入ると
きんみさん(みたいな人)がたくさんいます。

この記事もきっと運営者ギルドに入っていなかったら書かなった体験なので、運営者ギルドに入ってよかったと思います。