見出し画像

今年はテレプレゼンス元年?

最近「テレプレゼンス」という言葉が気になります。

テレプレゼンスとは、遠隔地のメンバーとその場で対面しているかのような臨場感を提供する技術のことである。 特に、高品質な音声や高解像度の映像などを駆使した、遠隔地のメンバー同士で会議を催すためのシステムを指すことが多い。Weblio辞書より

というように、元々は遠隔地とのビデオ会議などを支える技術から生まれた言葉のようなのですが、けっこうこれは深い言葉なのではないかなと思います。

最近ではZoomやTeamsでの会議が多くなり、「あれ、この会議ってビデオで全然大丈夫じゃない」という声や、逆に「やっぱり会議はリアルで会わないとなあ」という両方の声を聞くようになりました。

「本当にそこにいる感じ」、この満足度の差こそが「テレプレゼンス」の本質ではないでしょうか。

しかし、そもそも「そこにいる」「存在する」というのはどういうことなのでしょうか。

この部分に関しては、精神科医の斎藤環先生が素晴らしいnoteを書いていらっしゃいます。

(私にとっては、)あまりにも深くて濃い内容のため、ここでは多くは語りません(語れません)が、「臨場性と関係」においては、

オンラインでは完結できない領域とは何だろうか。少なくとも「関係性」が重要な意味を持つあらゆる領域は、今後も臨場性が必須となるだろう。

と書かれています。

最近ではフォートナイトやあつ森といったゲーム空間に「ただそこにいるために」ログインするユーザーも増えているということですが、

ダンジョンでレイドミッションに挑んだり、「~を手に入れろ!」といったクエストをこなしたりしつつ、プレイヤーは町の中心地の公園やパブに集まって新しい武器を見せ合ったり、ギルドメンバーの噂話をしたりするのだ。あるいは、ただたたずんでオンラインの友だちの存在を感じているだけかもしれない。
MMORPG「World of Warcraft(ワールド オブ ウォークラフト、WoW)」のディレクターであるイオン・ハジコスタスは『WIRED』US版による最近のインタヴューで、04年にWoWをプレイし始めたころについて回想している。彼はただその世界にいるためだけに、ゲームをプレイしていたという。

こういったメタバースに「いる」、そこで他人を「感じる」というのは一体どういう感覚なのでしょうか。

そこではオンライン・オフラインという区別はなく、ただ自分がそこに「いる」という意識だということなのでしょうか。

また、こちらでは「テレプレゼンス広告」の可能性について語られています。

まだこの「テレプレゼンス」という感覚に対しての考えはまとまっていないのですが、大きな可能性を感じる領域なのは間違い無いと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?