新年早々あれこれ迷う
新年早々、いろんなことが起こっていますね。まだ2週間も経っていないだなんて信じられないくらいに。
直近で一番悩んだのは、被災地に寄付をするかどうかでした。
今まで、無条件に良い行ないだと考えていたのが、「選挙に行くこと」と「寄付すること」だったから。そういうのって、じっくり検討したほうがいいんじゃないかと思って。
もちろん政治が正しく行なわれることは重要だし、被災された方々が適切に補助を受けることも重要です。
ただ、今、わたしの中では世界はこんな感じに見えていて─────
─────左が「こうだと思わされている世界」で、右が「実際の世界」という感じ。
で、実際には上のエネルギー世界が、下の三次元世界に反映、投影されているのではないか、という仮説ですね。これも、特に目新しい説ではなく、いろんな方々がおっしゃってきたことと同じだと思いますが。
ほんとは右のようにもっと大きい円(というか、球体)なのに、左下の小さな円の中に、わたしたちの意識や選択を閉じ込められている。そのせいで、本来はわたしたちがそれぞれ使えるはずのエネルギーを搾取されている、というイメージ。
搾取されているのは、お金(だけ)ではなく、むしろエネルギーのほうが重要なのでは…?ということですね。
もしそうだとすると、地震という三次元の被災者に「自治体や寄付機関」を通して寄付をすることは、それを「集める機関」にエネルギーを吸い取られることにはならないのだろうか…?
お金とか、祈りとか、選挙の一票とかを「誰かに託す/渡す」行為って、なんか「エネルギーを流す」行為のように思えて、実は軽々しくしてはいけないことなんじゃないか? 自分という宇宙の主として、よく考えて選ばなくちゃいけないことなんじゃないか? とか思ったり。
まあ、そうは言っても、困っている被災地の方々にお金(エネルギー)を届けたいという気持ちはあるので、さんざん迷ったんですが、今回は今まで通り寄付することにしました。
エネルギーの流し方として考えると、応援したいお店や企業の商品を買って応援というほうが、エネルギーをダイレクトに届けられそうな感じがしますね。エネルギーって、貯めておくというより、流して循環させるもののように感じるし。何にエネルギー(氣と言ってもいい)を流すかを選ぶことで、どんなエネルギーを受け取れるかが決まってくるのかも??
左の小さな円の中で繰り広げられる対立には、だいぶ警戒するようにはなりましたが、三次元世界では実際に被害も出てるわけで、気持ち(エネルギー)を持っていかれないようにするのは難しいですね。
そうじゃない方法が、「目の前のことにどう向き合うか」「自分の意識、行動」にあるんじゃないかと思って、そちらに集中しようとはしているのですが…。
今まで「善」だと信じてきたことには、なかなか抗いづらいです。
あと、初詣とか寺社のお祭りとかも、風習として好きだったりする部分もあり、参加したい気持ちもあったりだとか。
行動は同じでも、「意識」が違えば、エネルギー世界に変化を起こせたりするんですかね?
たとえば、被災者にエネルギーを届けると意識して寄付するのと、普通に被災者のために寄付をするのとでは、エネルギーの移動量に何か違いが生じるものなのかな?
なんだか、「自分の能力の使い方を知らない超能力者」にでもなった気分です😅
まだまだ、迷いは続きそうですが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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