【日本センチュリー交響楽団 Japan Century Symphony Orchestra ハイドン・マラソン(交響曲第95、93、97番)~コロナ自粛 再開・再会コンサート】

始まりはCOVID-19の犠牲者への哀悼と医療関係者への感謝を込めたバッハの「アリア」の献奏。
最初の1音から「グッ」と来ました。
久々の再開の感動、生音の感慨、、、もさることながら、「響き」「息づかい」の優しさ、緻密さ、繊細さ、生命力、、、、
日本センチュリー交響楽団 と #飯森範親 マエストロ ならではの「アリア」。
平素から、あらゆる場面・状況において、音楽のイメージを大切に育み、磨きぬいて「演奏」とする美質あってこそ。
それにしても本当になんと「深い息遣い」「優しいまなざし」の演奏か。。。
こうした「場面」でよく演奏される曲ではありますが、音楽として沁みてきました。
結果から言って、ハイドンの交響曲3曲のみという挑戦的でリスク高い(普通のオーケストラは手出ししない)「再開・再会コンサート」は、大きな実りをもたらしました。
日本センチュリー交響楽団ならではのハイドンの美質・特質の一つは、
「自在・敏捷・敏感・緻密・自発的」な反応性・テンポ(必要とあらば超高速!!も)・リズム・フレーズの創造。
「ソリスト級の全メンバーがバトル!!!しながら、一つの絵を描き、妙なる調和を生み出す!!!」ことではじめて実現する「全く新しく未体験のハイドンの発明!」体験とも言えます。
ですから、奏者どうしのコミュニケーションが妨げられ、「時差」が生じ、「響きが拡散」してしまう、異常な「コロナ配置(後述)」は、おそるべきリスク!障害!!ストレス!!!だったはず。
しかし、それすら「表現」に変えてしまった!!
このオーケストラとマエストロの意思・能力・努力こそ「おそるべし」でした。
やっぱり「面白い&素晴らしいハイドンを体験したければ、日本センチュリー交響楽団 & 飯森範親 のハイドンマラソン」は健在でした!
昨日演奏されたのは交響曲第93番からの一連の「後期」の作品群でしたが、
これらに至る前の期間、ハイドンは初期~中期(?)と長い間、エステルハージィ公の専属楽団・専用劇場での「日常演奏」向けに交響曲を「供給」してきました。
限られた空間・聴き手を前提にハイドンは「知った楽団仲間だから頼めるムリ・難題!!アイデア!実験!!!」を次々と吹きかける!! それが初期~中期(?)のハイドンの交響曲。
「完成されたクラシック」どころか、むしろ「ジャンル開拓中!!」の職人作曲家ハイドンが行った「発明」「実験」「アイデア」「ベンチャー」「限界の開拓・チャレンジ」。
ただし、それはハイドンのムチャな実験を完璧に理解し、完璧に弾き(吹き)こなし、かつ「自発的にバトルする!」域にして初めて味わえる楽しさ・スリル・魅力です。
正直、曲によってはハイドンと楽団員自身、「良いアイデアと思ったんやけど、演奏不可能やったな、、、」で終わったものすらあるかもしれない「ハイドンの交響曲」。
ですから古今東西、なかなか、ハイドンの初期~中期の交響曲の多くは「実際に演奏するものではない」「エンジョイできる作品ではない」ような扱いでもありました。
だからこそ、飯森マエストロ&日本センチュリー交響楽団のハイドン・マラソンは、この「開拓・挑戦・実験」の「そのとき」を新鮮に「追体験」をさせてくれる稀有の存在・機会でもある、というわけです。
さて、しかし、、、、昨日のプログラムは「後期」の「ザロモン・セット」。
そうして腕を磨き、名を挙げたハイドンが、当時の別格「先進工業化・市民化」社会~巨大国際音楽マーケット&大衆音楽市場「ロンドン」デビューをしたときに作った曲。
「いつもの楽団仲間」はもういません。
聴衆も「いつものみなさん」ではなく「名も知らぬ、趣味・出自も多様な大衆・市民」。
会場も「いつもの顔の見える部屋」から「大劇場」へ。
世界中のありとあらゆる物・人を「金」で集めてきて楽しんでる社会。
広い会場で、多様で茫漠たる大衆に向けて、「いつもの調子でネ!」で済まない楽団員が演奏できるように、、、
となると、
それは「実験・挑戦」の場ではなく、これまでの「実験・挑戦」の「成果」を盛り込むことになるでしょう。
そして、楽譜に「各奏者が読み取りやすい理路整然とした表記・情報」として盛り込まないと、演奏が成り立ちません(空気や行間を読んでもらえません)。
会場の響き方もずいぶん違うかもしれません。広いなら残響も長いかも、、、
これまでのように「すぐ馴染みの奏者と間近で呼吸を合わせてバトル&セッション!」とは行かないだろう、、、
となると舞台上でも混乱が起きないようにしないと、、、
そうしたことから、
このロンドン・デビューのシリーズ作品(ツアーのプロデューサー、ザロモン氏の名前から「ザロモン・セット」と言うそうです)は、これまでの「セッションメンバーのバトル」に比べると、
「大きな不慣れな劇場で、趣味も多様な大衆に向けて、大勢の楽団員が広い舞台で演奏する!!」という後のモーツァルト、ベートーヴェンに連なる「古典派のクラシック」の性格を備えることになったようです。
さて、劇場という意味では、
昨日のザ・シンフォニーホールもハイドン・マラソンとしては初めての会場で、「客数2割」という「ガラ空き」の長い残響。隣の奏者との距離が開くので「響き方」も未体験の状態。
演奏の都合で言っても、
楽団員は気ごころ知れたメンバーですが、距離を2m近く空けて、同じパート内でも「時差」が生じる「大編成の大舞台のような広がり」。たとえばヴァイオリンとフルートの絶妙のシンクロ&交差、エコー!!のような効果も、長大な距離と「樹脂スクリーン」が妨げます。
あくまで「結果論」ですが、熟達の職人ハイドンが、ワクワク・ドキドキで臨んだロンドン・デビューでの「リスクある新たな未知への挑戦」と似たような状況が、昨日のザ・シンフォニーホールにも出現したように思いました。
しかし、そのなかで、緻密な敏捷性・反応性、アンサンブル、ソロの掛け合い、、、、ありとあらゆる「表現」を繰り出し、「え!!!こんなに演奏しにくい舞台の上なのに、そんなに速いテンポで????」というような快速テンポで開始して「さらに快速に!!」の表現も「鮮やかにやり抜く」ことによるカタルシス!!!
いつものセンチュリーでは「全く一体!!」というような場面で、もしかしたら「反応し合う速度が見える」かのように感じたところもあった気もしますが、
それもまた「ザロモン・セット」らしさ、、、「ハイドンのロンドン・デビュー」の追体験感を増したものでした。
なので、舞台上の人数はむしろ普段よりさらに少ないくらいなのに、
ブルックナーくらいの広がった配置で演奏されるハイドンは、いつもよりも「大編成オーケストラ」のような呼吸感・表情が感じられるときもありました。
(例えれば、緻密な大編成、それこそ「セル=クリーブランド管弦楽団」にも似た呼吸感・表情という風情に感じました。ソロやセクションの音色・表情は(実演と録音の差もあるでしょうが)セル=クリーブランド管弦楽団よりさらに魅力たっぷりに感じた、というのはごく私的な感想です。)
あくまで「不幸中の、、、」ではありますが、昨日の異常な不自由な条件での「演奏会再開」を、至難で「完璧に演奏しないと良さが伝わらない」ハイドン、、、というリスキーな状況ながら、
その曲が「ザロモン・セット」であったのは、もしかしたら「幸運」だった面はあるのかもしれません。
その「幸運」を活かし、逆境を表現に転化・昇華させて、飯森範親マエストロ=日本センチュリー交響楽団、やはり、タダ者ではありません。
あらゆる表情を紡ぎ、織りなし、語り合う弦セクション。また随所のソロ・クワルテットの活き活きとした表情・多彩な響き。
時に弦のタテ糸・ヨコ糸となり、時に舞台全体に「光」を射すかのようなフルート。
時に物語を吟じ、時にオーケストラ全体の表情の陰影を彩り、時にあらゆるパートの「輪郭」を描くファゴット。
ソロからあらゆる楽器との組み合わせにおいて、繊細にして多彩な音色・表情を使い分けて、音楽を場面を語るオーボエ。
超絶な高音から低音までを、最もその瞬間にふさわしい音色・響き・表情で奏でてオーケストラの「彩色」するとともに、時に高く旗を、灯りを掲げる役割も果たす絶妙のトランペット。
これまた至難の上下するパッセージを、時に背景として、時に先唱者としてアンサンブルする、完璧なホルン。
様々な音色を選びとり、オーケストラ全体の中で、時に背景となり、時に「骨格」となり、時に「照明」となり、「協奏」する、絶妙のティンパニ。
文字でこうやっても全然言い表せない、魅力と喜びと命のあふれ出るオーケストラ、日本センチュリー交響楽団が戻ってきた!!!
これからの大きな一歩となりますように!!! と心から願って、幸せにさせてもらった1日でした。
(追記~ハイドンマラソンを聴いてきて、昨日の「ザロモン・セット」)
「クラシック音楽」というと、この100年間くらいは、ベートーヴェン、ブラームス、モーツァルトあたりで慣れ親しんで、その「耳」でハイドンを聴く(演奏する)状況でしたので、「ハイドンの交響曲」としてよく演奏されるのは、このザロモンセットが主でした。
ですから、ハイドンを聴く順番も大概は「ザロモン・セット」に親しんで、それから、何かの折に「他の曲も」聴く、、、というパターンになりがち。
いわば「さかのぼって」「後年の作品を基準に」して、「他の曲」を聴くことになりがちでした。
でもって、
これまでの「演奏の限界」のせいもあって、「他の曲」=「それ以前の交響曲」の多くは、つい「進化途上の未熟な曲」「昔の人たちはこれでも面白いと思ってたのか、、、へえ~」みたいな感じでした。
まだ「ハイドンの発明・実験・挑戦」が読み取れず、かつそれが「実現できる演奏」がなかなか現れなかったので。
ひとつには「ライブでこそ伝わる実験・挑戦」という性格が「録音芸術」中心の20世紀に不利に働いた、、、というのもあるかもしれません。
しかし、
これまでずっと、飯盛範親=日本センチュリー交響楽団 の発明・実験・挑戦プロジェクトによって、ハイドンと「過ごして」来た上で「ザロモン・セット」を昨日のような形で触れると、
ハイドンが「大編成・大聴衆・大劇場」用に「適応」した、、、という面とともに、
その中身に「バトル・セッション時代の発明・実験」がそこここに活かされてる!!ことを感じます。
これはなにより演奏者(指揮者・オーケストラ)が「発明・実験」を理解し体験していて、それが「表現」されてるからこそ、、、
ということも、昨日、改めて実感したことでした。
エステルハージィ公の楽団員が思ったであろうと同様(?)、初期の作品には「もう二度と弾きたくない!」ほど大変な曲もいっぱいあるだろうと思いますが、
このオーケストラとマエストロによるハイドン演奏を体験できる時代・場所に生きている幸運、、、を心から実感、感謝しました。
小学校の教科書にも載ってる大作曲家ハイドン!!!その曲が「実は面白い!」「実はコンナことがやりたかった!1」ことを体験できる機会とその努力・尽力に心から感謝です。
個々人から全体のアンサンブルまでの超絶な技術とセンス、緻密で雄弁で敏感な表現力を備える室内管弦楽団として、最高度の演奏を生み出している「スーパーオーケストラ」だからこその絶望的なほどの障害だったはずの「コロナ配置」。
これを「具体的な努力」で、ひとつひとつ克服・修正して乗り越えて「創造」に結んだ素晴らしい皆さんに。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52448410R21C19A1AA1P00/