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まどめと劇伴 ―ズレとフュージョン―

2024年春アニメ。数々の名作が生まれ、激戦となった今期ももうどんどん最終話を迎え、今期と来期のはざまとなってきた今日この頃。今期アニメについて振り返っていたらまどめについてちょっと駄文を散らしたくなったので書こうと思う。

※ネタバレを多分に含んでいます

まどめ、正式名称『魔王の俺が奴隷エルフを嫁にしたんだが、どう愛でればいい?』は人間であり魔王であるザガンとエルフであり奴隷であるネフィのラブコメアニメだ。ネフィの華奢なのに凹凸あるしや、途中からでてくるドラゴンのフォルの:musume:度が話題になってた一方で、Twitter(現X)のアニメ実況では劇伴に関する話題も散見された。それらの多くは「劇伴がシーンに合っていない」「劇伴が暴れてる」といった否定的な見方だった。確かに、「変」ではあるし、筆者はABEMAで視聴していたのでよくわかっていなかったのだが、劇伴の音響が大きめだったのもそうだったかもしれない。しかし、この劇伴がアニメと合っていないという意見については、果たしてそうなのか?むしろ素晴らしく合っているのでは?という認識があったので、どうしてそういう認識に至ったのかを考えてみる。

まどめのズレについて

まず、まどめという物語について考えていくと、重要なキーワードとして「ズレ」があると言えよう。例えばザガンは人間、ネフィはエルフ、フォルは竜である。全員「ズレ」ている。また、ザガンは幼少期は貧困、そののちは魔術師であるという理由から疎外され、ネフィは魔法が使えたことから疎外されていた。その両者が社会から疎外されていた理由はどちらも「異質さ」、つまり普通とは異なるという、「ズレ」である。
これらの認識を共有した上で、劇伴について考えてみる。本作での劇伴の特徴として、ミニマルミュージック的な同形反復と「ズレ」、そして5拍子といった変拍子を多用し、よくわからないコーラスを挿入する「異質さ」があるが、これらはアニメのキーワードと共通しているものではないだろうか。

異質な者同士のフュージョン

前述のとおり、登場人物らは異質な存在である。そんななかでザガンとネフィは様々なすれ違いというズレやぶつかり合いを経ながらも居場所を形成していく。もし本作がそこで終わったのならば素晴らしいラブコメだね!という形で受け入れたであろう。しかし、物語はそれで終わらず、フォルという竜の少女が現れる。作中において彼女は紆余曲折を経て娘のような存在となり、ザガン・ネフィ・フォルの3人で最終的に1つの「家族」という形を作り上げていく。しかし、これは非難されるべき見方であることは百も承知の上で述べると、彼らは社会から見ると「擬似家族」であるとも言える。種族も異なる上に、何よりフォルは血のつながりが無いからだ。血のつながりがあるわけでもない、種族が同一なわけでもない彼らが、社会から「ズレ」故に周縁化され様々なものを失わされた彼らが、例え擬似的であるといわれようとも関係なく自分たちの居場所を作り上げていく。それはつまり異質な者同士のフュージョンではないだろうか。
それらを踏まえて劇伴を考えると、本作の劇伴ではジャズ的な文法がクラシック音楽で生まれた楽器を用いながら多用されていることがわかる。クラシック音楽中心主義的な見方であり、かつ非常に大雑把な語り口であると前置きした上で、ジャズの起源については、アフリカなどをルーツとする音楽と、ヨーロッパなどをルーツとする音楽のフュージョン的な方向性が見受けられると考えられる。異質な者同士のフュージョンと、ヨーロッパとアフリカのフュージョン。劇伴はそこに共通項を見出せると言えるであろう。

伝統的な価値観の変容、あるいは緩やかな変化の肯定

先ほど私は彼らの関係性について1つの「家族」と述べたが、一方で見方を変えるとそれは「旧来的価値観に基づいた社会構成単位の模倣」とも受け取れる。つまり、「父・母・子」という家族観をそのまま引きずっているのではないかという立場からの批判である。そういった意味ではこのアニメはさほど革新的ではないとも言える。しかしながら、果たしてそれが旧来的価値観への全肯定へと繋がるのだろうか。
過去から現在への歴史をみてみると、伝統 vs 革新という構図は、互いを引っ張り合いながらも、緩やかグラデーションをつけながら変化していった。それはつまり我々は常に狭間にいるということである。それを踏まえると、まどめでの彼らの家族の形とは、伝統的なようで、種族が全員異なり、むしろ社会から周縁化されていったものたちが、自分たちで自分たちの居場所を新たに寄り添いながら育んでいくという緩やかなグラデーションの狭間である。
その上で劇伴を見てみると、劇伴全般で伝統的な楽器の音がほとんどである、つまりコンピュータ上で生成された音が少ない。ミニマル感や変拍子など普段聞きなれない技法を用いつつも、音そのものは伝統的なものを引き継いでいる。私はまたここでもアニメと劇伴の共通項を見出すのである。

ここまでアニメについて語りながら劇伴との共通項を探ってみた。それらを踏まえて改めて劇伴を聞いてみると(ABEMAプレミアムが憎い)本作の根底にあるキーワードを丁寧に紐解いた上で作品に寄り添った劇伴だと心から思う。私の書き散らした文章で本作とその劇伴の良さを言い表せているかはわからないし、特に最後の項目については自分の中でもうまく咀嚼しきれている訳でもないのでごちゃごちゃしたものいいになってしまっているが、それでも、本作はとても良い作品であったということだけは伝えたい。フォルが萌え萌えで:musume:で嬉しいし……

最初の頃はパンもぐもぐがむすっとした顔だったのに最終話でこの笑顔がサァ!!!!

例え旧来的な価値観を想起させるような形に一瞬みえたとしても、そんなズレとマージナルとフュージョンとグラデーションの狭間で互いに寄り添いあえる居場所を見つけた彼らに、最大限の祝福があらんことを。

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