組織には戻れない、戻ることはできない。だけどわたしの口から出てきた言葉は「エホバの証人として生きられなくてごめんなさい」だった。
「どうしてちゃんとできないんだろう?」と、
苦痛を味わうような現実が起こることがあって、
「なんでだろう??」と思いながら、自分の内側を探ると、
「お母さん、お父さんの望むような子になれなかった。ごめんなさい。」
と、自分を責めるような気持ちが出てきた。
小さい小さい自分が強く自分を責めているようだった。だから、わざと自分を責めたくなるような状況を引き起こすのだろうか。
特に、お父さんに対しての罪悪感が強かった。
私のお父さんは冷静沈着、動じない、自分を律する精神が半端ない。
わたしも、そんな強い不動な人になりたかった。
でも、わたしは自分に厳しくし続けることができない。
いっぱいいっぱいになったら、買い物で散財しちゃうし、カフェで甘いもの食べちゃう。
強くいられない。自分を律したいのに、律することができない。
そんな理想と現実の狭間に苦しんでいた。
それで出てきた言葉が、
「お父さん、お母さんの望むような立派な子供になれなくてごめんなさい。」
だった。
その言葉が出てきたとき、涙もあふれた。
そう思うと、お父さん、お母さんがどう思っているのか気になって、電話をした。
そして、上記の言葉を言おうとしたのだが、出てきた言葉は意外なものだった。
「エホバの証人として生きられなくてごめんなさい。」
まさかこんな言葉が出てくるとは思わなかった。
組織には戻ることはないと思うし、もうシャバでの生活を知ってしまったからには、戻れない。戻るはずがないと思っていた。
もう自分の時間を奉仕(布教活動)に使うこともできないし、集会(集まり)に時間を取ることもできない。
もうわたしは、組織以外の人との繋がり、交流する世界で生きている。
でも、エホバの証人として生きれなかったことがお父さん、お母さんの期待に応えられなかったのではないか、
子供が組織を離れたことで、教育に失敗した親として、組織内でレッテルを張られたのではないか、罪悪感があったのだ。
そんな私に、お父さんもお母さんも、何かを望んでくるようなことは言わなかった。
しっかりとした人間として生きていないと、私が思っていたことも、そんな風に言わなかった。
「親の期待に応えられなかった。親はそれで残念に思っている。」
と思っていたのは、わたしの思い込みだったのだろうか。
電話を切ったあと、少しの安堵があった。
もしかして、わたしはもう何も望まれていないのかもしれない。
私の主観で見ると、もう戻ることはないだろうと思っていたエホバの証人の世界。もう無理だろう。
私は他のいろんな世界を知り、気づきすぎてしまった。
だけど、
「お父さん、お母さん、
エホバの証人として生きてなくてごめんなさい。」
そんな思いも私の中にあったんだ。
戻れないと思ってても。
あの頃の小さなわたしが何故頑張っていたのか分かった。
多分、お父さん、お母さんのために頑張っていたんだろう。
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