『君たちはどう生きるか』と「水」と没記事

はじめに言っておきます。全部未完です。未完だけど、遅れるのもなんか悪いからもう推敲もなにもしてないけど公開します。あ~…あちゃー…。


一応の記事(未完)

はじめに


 みなさんこんにちは。Fuwamoonです。
 皆さんはジブリの最新作『君たちはどう生きるか』…みました?
 どうでしたか?個人的には過去のジブリ作品との共通点や、自分の作品に対する軽い皮肉やら、エディプスコンプレックスとかそういう精神分析的要素やら、神話的要素やらいろいろ感じられて面白かったです。
 映像も話もあまりにも綺麗なので、三回もみてしまいました。
そうやって見ているうちに、作中の「」の表現が気になったので今日はそのことについて書こうかなと思うよ。

『君たちはどう生きるか』って?


 2023年に公開されましたジブリの最新作です。監督は宮崎駿。事前に告知を一切出さないという斬新な告知(?)でもって、一時期話題になりました。監督の自伝的作品ともいえる一作です。
なんとなく自分語りを嫌うような、かと思えば自分の話をしたくてたまらなそう…と思えば観客を優先する…そんな印象を受ける監督ですから、今回の自伝的な描写には驚きました。

ジブリと水


 ジブリには、四大元素と呼ばれる四つの要素があります。
 水・火・土・風の四つです。
(このうち土をのぞいた三つを指して三大元素と呼ばれることもありますが、今回は四つでいきますね。)
 ジブリ作品にあまり触れてこなかった人は正直ピンとこないかもしれませんので、ちょっと個人的にジブリ作品…特に長編…それも宮崎監督作品において「水」が重要な役割を果たしているのでは?と思うシーンを挙げようと思います。

 なぜ高畑監督作品は除外するのかというと、高畑監督は現実を生々しく描き出し、淡々と事実を突きつけるのに長けている監督なのに対し、宮崎監督はアニメーションらしい虚構を通して現実を描くという意味で、性質の異なる二人だからです。
 高畑監督の作品ってどれだ?と思った人もいると思いますので、書いておきますね。彼の有名な作品だとまず「火垂るの墓」、「かぐや姫の物語」の2作です。少しマイナーかもしれませんが、「平成狸合戦ぽんぽこ」もそうです。「火垂るの墓」では、戦争を描き、「かぐや姫の物語」ではかぐや姫の浮世離れした貴族の生活と捨丸兄ちゃんらの民衆の生活を、「平成狸合戦ぽんぽこ」では開発の進む多摩地区を描いていました。
 このことからもわかるように、少し現実寄りの内容を取り扱ったり描いたりしがちなのが、高畑監督作品の特徴の一つです。

それでは、話を戻します。
ということで、宮崎監督作品で思いつく限り「」が出てくるシーンを列挙してみますね。

  • (正確にはジブリ作品ではありませんが)『風の谷のナウシカ』の腐海の下の澄んだ世界でアスベルとナウシカが会話するシーン。

  • 『天空の城ラピュタ』の雨雲の中を飛行するシーン。

  • 『となりのトトロ』のトトロとバスを待つシーン。メイちゃんの靴が水に浮かんでるシーン。

  • 『魔女の宅急便』の列車から海を見渡すシーン。雨の中、宅配するシーン。

  • 『もののけ姫』のシシガミとの邂逅シーン。

  • 『千と千尋の神隠し』の雑巾を絞るシーン。雨の中オクサレ様がやってくるシーン。竜の姿をしているハクに乗り、川でおぼれた記憶を思い出すシーン。

  • 『ハウルの動く城』のカルシファーに水をかけてしまうシーン。

  • 『崖の上のポニョ』の魚のような波にポニョが乗るシーン。

  • 『借りぐらしのアリエッティ』の雨を葉っぱ傘で防ぐシーン。ラスト、川の流れに乗って引っ越しをするシーン。

  • 『風立ちぬ』の菜穂子ちゃんが泉にお願いするシーン。「あなたがここへ来て下さるようにお願いしたんです。あなたは何も変わりませんね。」のシーンです。相合傘のシーン。

  • 『思い出のマーニー』の舟のシーン。湿地に建っている家のイメージ。嵐の日のサイロ。

とこんな具合です。

(『紅の豚』の川から飛び立つシーン…これも覚えてるのにお話を忘れてしまった。それと『コクリコ坂から』も観たんですけど、思い出せませんでした。悲しい。海が出てくるのは覚えてるんだけどな。)

それぞれこの作品を観たことある人は、あのシーンかなあ?と思い当たるところがあったと思います。
そこでふと思ったことがあります。
これら「」が出てくるシーンのあと、物語の起承転結でいう「転」の直前に「」が登場していたり、何かの境界として「」が登場しているのでは?
と。

え、なになにどういうこと?ってなりますよね。今あげていった作品の盛大なネタバレになりますが、さっきの水のシーンのあと、大体物語の進行上デカいことが起きます。それではレッツゴー。

  • 『風の谷のナウシカ』→腐海の真実が明かされる。

  • 『天空の城ラピュタ』→幻と思われたラピュタを発見する

  • 『となりのトトロ』→サツキちゃん初めてのトトロとの邂逅

  • 『魔女の宅急便』→新たな街に到着。ニシンのパイを届ける途中で大雨に降られ、風邪をひく。そしてキキは飛べなくなる。(水とは少しずれるけど、液体つながりで「魔女は血で飛ぶのよ」)

  • 『もののけ姫』→先の展開を知っている人ならわかる。シシガミの存在は物語上デカい。

  • 『千と千尋の神隠し』→カオナシを油屋に引き入れるきっかけに…。オクサレ様に千が対応。油屋の人々や湯婆婆が千を見直したり、一人前として認めるきっかけとなる。

  • 『ハウルの動く城』→そのまま指輪に導かれ、幼少期のハウルに出会う。「ハウルー。カルシファー!!私きっと行くから。未来で待ってて!」のシーンです。ここで初めて過去すでにハウルとソフィーがすでに出会っていたことが明かされる。

  • 『崖の上のポニョ』→崖からポニョがあがる

  • 『借りぐらしのアリエッティ』→アリエッティが翔との接触を図り、小人が住んでいることが決定的にバレる

  • 『風立ちぬ』→二人の再会のきっかけとなる。

  • 『思い出のマーニー』→サイロにてマーニーがこの世の人物ではないことに気が付く

が出てきた後、話が動いてるなあと思うところは、ざっとこんな感じでしょうか。
また、と登場人物に注目すると、のシーンは出会いや境界を表すシーンに登場しがちとも言えそうです。そう思った点は以下の通り…。

  • 『風の谷のナウシカ』では、清浄と穢れた地の境界として。

  • 『天空の城ラピュタ』では、地上とラピュタ城という異世界の境界線として。

  • 『となりのトトロ』では、トトロという異質な存在とサツキらの接点として。また、池に浮かぶ靴からは、死を感じさせますから、生者と死者の境界を。

  • 『魔女の宅急便』では、いきなり飛ぶ力を失いアイデンティティの危機に瀕するという一般人と魔女の境界を。そして、魔力を介する存在としての血。

  • 『もののけ姫』では、シシガミという神と人間の境界として。

  • 『千と千尋の神隠し』では、異質なものとの出会いを媒介する境界として。

  • 『ハウルの動く城』では、過去と現在をつなぐ境界として。また、星の子という存在とハウルをつなぐ境界として。

  • 『崖の上のポニョ』では、異質な存在であるポニョとの境界として。また、町が水浸しになるシーンでは、過去と現在の境界として。

  • 『借りぐらしのアリエッティ』では、小人と人間の邂逅の境界として。

  • 『風立ちぬ』では、二人をつなぐ媒体や境界として。

  • 『思い出のマーニー』では、実際には存在していないマーニーと主人公杏奈の媒介として。

といった具合でしょうか。なんとなく『君たちはどう生きるか』を鑑賞した時に考えたことをざっと書きました。
というのも、『君たちはどう生きるか』でもこの「」が、一種の境界となっていると感じたからなのでした。

『君たちはどう生きるか』における水のシーン

 『君たちはどう生きるか』には、何回か「水」が登場します。それではまず最初のシーン。青サギとの邂逅のシーンです。
この時、青サギは屋敷の池に居ました。ほら!なんか出会いや物語の進行上デカいシーンに「水」登場!
 次に、頭から「血」をまるで水のように垂れ流すシーン。このシーンを境に、眞人はどんどん異世界とのリンクを強めていきます。媒介としての水のイメージを少し感じました。
 そして、病床に寝込む眞人が、水を飲み干しながら青サギの立てる音に耳をすませるシーン。こちらも青サギという存在と眞人をつなぐ境界として水が機能しているように感じました。
 そして、青サギとの決闘に使われた棒がトイレにあったのは、偶然ではないようにおもいます。というのもそのトイレは水洗トイレなのです。また、水だな…て感じです。そこで眞人は、「不思議なことの多いお屋敷だからね」とおばあちゃんから説明を受けます。未知との邂逅って感じですね。
 ちょっと順番が前後してしまっているかもしれませんが、池にて青サギに話しかけられ、カエルやコイに囲まれ、塔へといざなわれるシーンでは、まさに異世界との境界として視覚的にも状況的にも水が絡んでるなあと思いました。
 また、水とはずれるかもしれませんが、亡くなった母がどろどろに溶けるシーンは、死と生をつなぐ存在、その境界としての流れる「水」のイメージなのかなとか思いました。
 キリコさんとの邂逅のシーンでも、水のイメージは止まりません。海の上に暮らすキリコ。幼いころの母との食事シーンでも窓の外には海。産小屋の前にも水…
ともう水出まくりです。
大叔父の部屋の崩壊するシーンでも、モーセの海割りを彷彿とさせる海のシーンが…そして世界の崩壊するシーンでは大洪水が…ととにかく水あるところに転換点が…境界が…って感じです。


 ばーっと書きなぐってみましたが、いかがだったでしょうか。
 観てない人にとっちゃあ「なんやねん」でしょうね。あたしもなんやねんです。眠いです。明日もバイトなのに、アドカレ書き忘れてたことにきがついて今(当日の深夜2時)にかいてるアホはここです。
なのでここで記事終了です。(うそでしょ?)
あ、あ。。。まとまんなかったけど、許してほしい。あ~あ。アドカレなのに書き終わんなかった…。でもねないとバイトで死んじゃうから寝るね。
そうそう実はね。『THE ART OF 君たちはどう生きるか』にエディプスコンプレックスの話だよってあったから、エディプスコンプレックス要素どこ?みたいな記事も書いたり、なんか観てるときにあの作品にもこの作品にも似てるな!って思ったのを書きなぐったり、いろいろしてたのよ。でもまとまんなくてさあ…。いやこれもまとまってないんだけど…
とにかく間に合わなかったよう。
あ~~~~~供養がてらその書きかけの記事もここに貼っちゃうか。(え~?)

とにかくジブリ観てほしいな。おやすみ。あたしは寝不足。ぶっ倒れませんように。そりでは。無限に練りをしまつ。ぽやしみ。


没になった記事①

みなさんこんにちは。Fuwamoonです。
 アドベントカレンダーに勢いで登録してしまったため、何を書こうか悩みました。
こいつ勢いとノリで生きてるなと思ったら多分Fuwamoonですので、温かく見守ってください。(図々しいぞ!)

さっきネットで検索したら、エディコンと君生きの考察がめちゃんこされてたので、あ~となりました。だってそうなんだもん。正直でも、でっけー悲哀の仕事(喪の仕事)の話でもあるんじゃないかなあとも思います。
でも、でもでも、宮崎監督が言ってるとおりがっつりエディコンの話なので観てほしいし、みっ宮崎駿だなあ!と思ったので、書きます。あ~~~。

『君たちはどう生きるか』って?


 2023年春に公開されたスタジオジブリによる最新作です。
 監督は、ジブリの顔・宮崎駿!
 はじめは3年で制作する予定だったらしいのですが、監督の好きなようにつくらせよう!としたところ、なんと制作に7年もかかったらしいです。
(一般的に、30分のアニメを作るのに一か月、アニメ映画だと1~2年はかかるといわれているのでとんでもない年月がかかった作品だということがわかります…。ちなみに、ジブリの他作品も大体制作期間は1年です。あ、でもヱヴァシリーズはちょっと例外ですね。監督の療養期間を挟んでるのもあってめっちゃ時間かかってます。ヱヴァもみようね。ちなみにあたしはアスカラングレーと弐号機が大好き。かっこいいからね。でも綾波も好きだよ。どうしよう全部好き!)
 つまり、まあ…つまるところ…この作品の”気合”の入り具合は規格外だと言いたいです。
 物語のあらすじは、いたってシンプル。

主人公眞人が、亡き母の幻影と突如森へ消えていった義理の母を追い、不思議な塔の中の異世界を旅する宮崎駿の自伝的冒険ファンタジー

です。

エディプスコンプレックスってな~に?


 エディプスコンプレックスとは、母親に性愛的感情を抱いた男児が、母親独占したい&母親と一体化したいという思いから、父親に対して敵対心と去勢不安を抱く。しかし最終的に、母親を手に入れることはできないと受け入れることで、男児はこのコンプレックスを乗り越え、自立に至るこの一連の流れのこと。

です。

 これは精神分析学の創始者ジークムント・フロイトによって提唱された概念で、この「エディプス」というのは、ギリシア悲劇の『オイディプス王』になぞらえてつけられた名称です。おしゃれだなあ。
(女児の場合はどうなの?去勢とかしようがないじゃん!←女児のエディプスコンプレックスに関してはいろいろあります。ユングのエレクトラコンプレックスのお話とか色々。)

 今回は、宮崎駿自身が
”少年と母親の関係について、はっきりエディプスコンプレックスに踏み込んでいます。”
と言及していたことから、とり上げさせていただきました。
でも、正直、母の死と父親の再婚という観点から見ると、若干シェイクスピアみがあるなとかも思いました。独り言です。

物語は以下の要領で進んでいきます。

火事で母を失う。

しばしば母の死のフラッシュバックに苦しむ。
母の妹で新たに眞人の義母となったナツコをまだ「母」として受け入れられないでいる。
e.g.)
・夢の中で母親を思い出し、泣く。
・自室から出て、玄関を見つめているときに、ものすごい炎とともに母の自分を呼ぶ声を聞く。

母と愛し合っていたはずの父親がナツコと愛し合っているシーンを見かけ、父親に強い嫌悪感を抱く。

塔で亡き母の偽物と出会う。その後、少女時代の母に出会い、旅をする。

自分の生きる時間へそれぞれが戻るときにナツコ(若いころの母)が火事で死んでしまうことを恐れ、眞人は忠告をするも「火は好きだ。そしてこうして眞人に出会えたじゃないか。」「さすが私の産んだ子だな」といって自分の生きる世界へと戻る。
そこで眞人は母親の死を真の意味で受け入れる。

というお話である。
はじめの方では、眞人は母の死を受け入れられないでいたが、母の「火は素敵だ。だってこうして会えたんだから。」ということばに救われ、母親に会うことはできないと眞人は受け入れることができるのだ。
すげ~綺麗な流れ。


没になった記事②

はじめに


 こんにちは~。Fuwamoonです!
 おいしいものと美しいものと穏やかな時間と睡眠とアニメ映画(宮崎駿、高畑勲、新海誠、庵野秀明、大友克洋、今敏、細田守あたりかなあ…)が好きです!たまに三島由紀夫読みます!いつか金閣寺を燃やします。

耽美なものは全部好き!

対戦よろしくお願いします!たいよろ

 え~今回は、
 何を書こうか悩んで悩んで…結局『君たちはどう生きるか』のお話に落ち着きました。
 そこまでは、良かったのですが…
 『君生き』の風刺的表現について、ダンテの『神曲』との関係、各所に散らばる神話的要素、宮崎駿と主人公と大叔父について(自伝的作品ゆえ)、『君生き』と他作品のつながり、塔の中の世界と精神分析論、宮崎にとっての母と君生きにちりばめられた母性…とかとか沢山言いたいことが出てきて結局まとまらず…。
 んで、『君生き』をテーマにいろいろ調べて全部書きたいな~と思ったのですが、全部書くと大変な文量になるので今回はあきらめました(´;ω;`)
 と、いうことで、今回は

「激推ししている『君たちはどう生きるか』とそれを観ているときに思い出した他作品」

について書きます!

『君たちはどう生きるか』って?


 母を亡くした主人公・眞人が、死んだ実母と森へ消えていった義理の母を求めて不思議な塔のなかへと冒険しに行くお話です。
ちなみに、宮崎監督によると、自伝&エディプスコンプレックスのお話らしいです。

「なんだそんだけかい!」といったらそれまでですよね。正直そこだけ見たら「つまらない」「気持ち悪い」作品という評価で終わってしまうでしょう。
終始「死」と「生」(たまに「性」)のかおりがプンプンする非常に”生っぽい”作品ですから…。

(まあ、生と死はジブリの根幹ともいえる部分なので、ジブリ作品を観るうえで避けられない要素でもある。千と千尋の神隠しでは、川を渡るシーンがあります。個人的に三途の川を渡るイメージと重なり、死のにおいを感じます。風立ちぬでは、最後、菜穂子さんは結核で死んじゃいます。結婚式のシーンは白い肌に赤い口紅といういかにもサナトリウム文学か??な超絶beautifulなシーンがあるので見てください。飛行機の音全部人間の声で録音されてるがゆえの生っぽい感じとか、結核の菜穂子の横でたばこ吸う二郎さんてひどくね?いやあれってあったかもしれない日常の再現なのでは?もうすぐ死ぬと分かっているからこその行動が…とかなんかいろいろおもしろいので観てね。宮崎駿によると菜穂子は一番気合入ってるキャラクターらしいので、それも踏まえてみてみると面白いかもです。超絶脱線したぜ~。戻るぜ。)

とにかく今回のnoteを読むにあたって、

眞人という青年が、塔の中の不思議な世界を冒険するお話なんだ!

ってのがわかってればOKです。
てか、なんなら知らなくったってOKかもしれないです。
君生き面白いよね。あの作品もこんなとこあっておもしろいよね。みたいな記事なので。
(雑すぎないか?本当だからだ。インターネット最高~^^)

『君たちはどう生きるか』を観て

それでは本題!君生きのを観ていた時にふと感じたことついてお話しようと思います…。
 この映画の世界は、”時間”を一つの柱とした場合、主に以下の三つに大別されます。

・視聴者である我々の生きる現実世界
・塔の”外”の世界
(私たちから見た物語の世界その一。かつ主人公らの生きる現実。父やキリコを除くおばあちゃんたちの世界。塔の中の太陽が境。)
・塔の”中”の世界
(私たちから見たら物語の世界のまんま。しかし、主人公らから見たら別世界。塔の外と中をつなぐ部屋→初めの海→ヒミの世界→インコ帝国→大叔父の住む世界)

 まず、一つ目、我々の生きる現実世界ですね。こちらは説明するまでもないでしょう。

 では次に、塔の外の世界。こちらは観てない人には少し補足が必要ですね。主人公が生きている現実世界(我々から見た物語の世界。)です。冒頭のシーンでは、「どうだこれがアニメーションの頂点だ」と言わんばかりの天才的作画と生々しい音でもって、我々を一気にリアリティあふれる作画&音響とともにアニメーションの世界へといざなってくれました…。
(冒頭~塔の中に侵入するまで。それと、塔の外へ出るまで。でも、頭に傷をつけたあたりから明らかに主人公と塔の外の世界と塔の中の世界との”接続”が始まっているので、「塔」をひとつの分岐点として綺麗に分けるのはちょっと無理あるかも~(´;ω;`)とも思う。)

 そして最後に塔の中の世界。ここでは、塔の外とは完全に別の時間が流れ、塔の外とは季節感や常識などが異なった不思議な空間が広がっています。
たとえば、塔の外の世界ではおばあちゃんだったキリコが若い姿で登場したり、死んだ母親の幼少期の姿をした女の子の存在であったり、なぜか人間みたいに帝国を作って暮らしている言葉を話すインコ達…どこまでも広がる広い海に、四季を無視した色鮮やかな風景…などなど
これらの描写が塔の中の世界は、時間&空間ともにぐちゃぐちゃで入り混じった異世界であるということを教えてくれます。
(でも太陽の間はまだ外の世界との中間にあるよなあ。アリスでいうなら穴に落ちた直後みたいでおもしろい。あの”drink me”って書いてある飲み物を飲み干してアリスが大きくなったり、小さくなったりするあのシーんです。)

 こんな感じで時間軸の入り混じる作品ですから、我々はこの作品を観ているとき、現実世界から、塔の外の世界へ、そこからめくるめく塔の中の世界へ、そこから塔の外の世界へ、そして最終的に我々の生きる現実世界へと、現実と非現実の間を行き来することとなります。
 この幾重にも重なった階層的構造がこの作品を面白くしているのだと思います。

じゃあどんな感じでこれらの世界が組み合わさっているのかについて書いていこうと思います。

映画館
→我らが現実世界

冒頭~塔に入るまで
→塔の外の世界

塔の中に入る
→塔の中の世界

いったん外にでる
→塔の外の世界

塔の中で大叔父様に会う~塔崩壊まで
→塔の中の世界

塔から外に帰る
→塔の外の世界

エンディング
→現実世界

とこんな具合に、行ったり来たり…です。まるで夢でも見てるみたいで面白い構成だなあ思いませんか?我々の生きる現実とその現実に少し似た世界と全くもってその常識が通じない世界…とぐるぐるぐるぐる場面転換する様子あ、まさにアニメーションだからこその表現…!
 夢分析と精神分析論が大好きなあたしはそんなことを考えて、一回目は気絶。二回目は感涙。三回目で崩壊しました。

筒井康隆『パプリカ』

 この「現実」「虚構」「虚構の中の虚構」という階層的ともいえる構造は、筒井康隆の『パプリカ』にもみられます。

※『パプリカ』ってアレです。「オセアニアじゃあ常識なんだよ」で有名なアレです。(ちなみに、このセリフは原作の小説には一切登場しない。)

『パプリカ』って?

 『パプリカ』はフロイトやユングの精神分析論や夢判断を用いつつ描かれた新感覚SF小説です。著者は、なんとSF御三家のひとり・筒井康隆!
(なんと現在もご存命!月刊新潮にいまも寄稿してくれている。ありがたい話である。)
 また、こちらの作品は今敏監督によってアニメ映画化もされていて、アニメ映画の方もかなり最高かつエロティックで美しいなので見てほしい。とにかく色使いや動きが主人公・千葉敦子の色気と少女性を存分に表して言えるのだ。みてほしい。かなりみてほしい。
 ついでにいうと、アニメ映画の作中歌として、我らが筑波に住まう平沢進の音楽が起用されているので、ぜひ見てほしい。なんならそのまま、今敏監督の素晴らしい映像美にはまってほしいし、筒井康隆にもはまってほしいし、そっから『時をかける少女』を読んで、細田守監督の『時をかける少女』を観て、細田守からほかのアニメ映画にもはまってほしいし、ふつうに『パプリカ』からフロイトの精神分析にもはまってほしいし、そっからエディプスコンプレックスにも興味を持って、その流れで『新世紀エヴァンゲリオン』にもはまって、そのまま私の友達になってくれたら嬉しい。(唐突な自我!だれにもとめさせはしない!)
 かなり脱線してしまったので話を戻そう。
(あたしは脱線しかしないぞ~^^)

筒井康隆『パプリカ』における階層構造は以下の通りだ。

・読者の生きる世界「現実」
・小説における現実世界「虚構」
・小説のなかでの夢の中「虚構の虚構」
・さらに夢の中「虚構の虚構の虚構」
・以下続く…

といった具合である。
読者の生きる現実、物語世界、物語の中での非現実世界という三つに大きく分類できよう。精神の深度や眠りの深さによって世界があいまいになっていくのだが、その書き分けと表現が卓越している。最高なので、読めよな。
 この三つの世界を、小説や文章のもつ曖昧性をフル活用する形で描かれた作品がこの『パプリカ』だ。
 夢の話なのか、主人公は?はたまた自分自身は?どの時間軸のどの世界に置かれているのか…
時空と次元を行き来するそんなとんでもない新感覚SFが読みたい人はこの小説のすばらしさに酔いしれてほしい。(私情ましましです♡)
アニメ映画では能勢の治療シーンがだいぶ省略されていますが、原作では結構長めに書かれてるので読んでほしいな。
  君たちはどう生きるかと同じく、虚構と現実の操り方がかなりうまい。
映像における時空の魔術師が宮崎駿なら、小説における時空の魔術師は筒井康隆だろうな。^^

クリストファー・ノーラン監督『インセプション』

 次に取り上げるのは、『インセプション』だ。もしかしたら、見たことあるひともいるかもしれない。『インターステラー』の監督が制作した作品だ。こちらも最高なのでぜひ観てほしい。こちらも時間と世界を操っている。
 それでは、インセプションの話をしよう。
 まあ夢を異世界に近いものとするならば、この作品にも似たような階層構造がみられる。
 この映画は、現実世界と夢の世界のお話だ。こちらは、「現実」と何重にもなっている「夢」の世界が、場面転換を用いることで表現されている。
 現実世界と、夢の中、またその夢の中…といった具合だ。
 物語に”夢”が関連している&根底にフロイトの夢分析が敷かれていることもあり、『パプリカ』と似た印象を受ける。
 きっとフロイトの精神分析大好き人間には刺さって刺さって仕方ないだろう一作だ。(正直、最後のほうは「は?」という感じですが、クリストファー・ノーラン監督のインターステラーはおもしろいから見捨てないでね。)

ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』

 皆さんご存じ「不思議の国のアリス」である。主人公アリスが白兎を追って穴に落下し、不思議な世界を冒険することになるのだが、結局夢オチだったみたいな話だ。
 こちらは、

アリスの生きる現実世界「虚構」
穴の中の世界「虚構の虚構」

といった具合になっている。物語世界の中で、虚構と虚構が共存している。我々の生きる現実世界を提示してこないという点で、『君生き』とは少し異なる。
※すこし脱線するが、君生きでも、塔の中の世界に入る際、「落下」しているのも面白い。(宮崎作品において、「飛行」と「落下」は大きな意味を有している。)また、宮崎監督は児童文学のファンでもあることから、多少は影響を受けていると思われる。あとから、お友達に言われて気が付いたが、昔話『おむすびころりん』も穴に落下して異世界に行っちゃう話だから似てるっちゃ似ている。


庵野秀明監督『シン・エヴァンゲリオン』

 虚構と現実について話すなら『シン・エヴァンゲリオン』も外せない。
(風の谷のナウシカの巨神兵のシーンは、庵野)
 こちらは庵野秀明監督による新劇場版エヴァンゲリオンの最終版である。盛大なネタバレになってしまうが、この物語は

シンジの生きる世界(虚構)
虚数空間「虚構の虚構」
スタジオの撮影風景という「虚構の虚構世界における現実」
ヱヴァの存在しない世界「現実世界に近い虚構」
我々の生きる現実世界「現実世界」

という具合に、こちらも虚構と現実が幾重にも重ねて描かれている。こちらはというと、実写と手描きとCGとを混ぜ合わせることでその奥行きを作り出しているのが面白い点だ。また、ラストで監督の地元である宇部新川駅が実写で映し出され、我々を現実世界と接続するという今までにない演出は、まるで編集された現実世界ともいえるドキュメンタリーを観ているような気分にさせられた。『君たちはどう生きるか』では、我々の生きる現実世界があからさまに示されることはなかったが、エンドロールで今話題の歌手を起用することでゆるやかに「今」へと視聴者を誘導していたように思う。


アレハンドロ・ホドロフスキー監督『ホーリー・マウンテン』

 ホドロフスキー監督による伝説的カルト映画『ホーリーマウンテン』も階層的っちゃあ階層的でちょっと夢の中っぽくてメタな作品だ。
 爆裂なネタバレになってしまうが、この物語は僧侶っぽい謎の聖職者にブロンズヘアーに赤い唇、それに派手なセクシー衣装をまとったいかにも”俗”っぽい女が真っ裸で洗礼を受けるというとんでも演出とちょっとイエスっぽい人が石を投げられるからはじまる。そして、そのままイエスっぽい人の謎の旅がはじまり、仏教僧っぽいひとがいる高い塔にイエスっぽい人が登ってゆきそこで洗礼を受け、そのままなぜかほーりーなマウンテンを目指し旅に出る…。
 そして最後、監督ご本人が登場し、「この物語は映画だ。虚構に過ぎないのだ。」と宣言し、カメラを徐々にひいて映画の中では「現実」だったものの本当の姿を映し出して終了する。はちゃめちゃにメタな演出だ。
(「なんだそんなもんかじゃあ観なくていいな」と思った人は一回待ってほしい。この映画は、宗教への風刺や人間社会に対するニヒリズムであふれており、観ていて気持ちがいいからだ…絶対に見てほしい。)
 ともかく、視聴者に「これは虚構である」という「現実」を見せつけ、さらに監督自身の存在によってそれを強調するというラストは夢オチとはまた違った感覚を我々に引き起こさせる超大作だ。ぐろすぎてえろすぎてぎりぎりすぎてかなりまあとんでもない。
導き出される構造は以下の通りだ。
 この作品は、あえて現実を「虚構性」を強調しながら描くことで現実のくだらなさを存分に表現している。まじですごい作品だからみんなよろしくな。

と、一気に作品を列挙してみたわけだが、何が言いたいかというと、
虚構と現実の深度という視点で見ると面白い作品ってあるよね♪
ということだ。それと、夢とかそういう話にからめるとほんとうに楽しい♪キャンメイクトウキョウ!
アニメ映画でも、小説でもなんでも、目まぐるしく世界が変わる作品って最高~にあたし好みです^^(誰)
視覚的にも物語的にも厚みが生まれて濃い~~~~~~~~感じがします♪



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