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カラオケ屋の王子

本屋になる少し前、私はアイスクリーム屋だった。隣は大きなカラオケ屋で、反対隣にも数軒のカラオケ屋が並ぶような繁華街にある。どの店の前にも呼び込みスタッフが立ち、客引き合戦を繰り広げていたが、特に大きなカラオケ屋の彼らは、店内でドリンクを運んだりはせず、蛍光色のジャンパーを羽織り、ひたすら道行く人に声を掛けては店に客を送り込むプロ集団だった。オーディションでもあるのかと思うくらい垢抜けた男性が勢揃いで、いつも眩しく前を通り過ぎていた。その中に、とびきり背が高く、茶髪のロン毛なのにどこか高貴な佇まいの彼を見つけ、心の中で「王子」と名付けた。

平日の早い時間はさすがに人通りがなく、そういう時、王子は長い手を後ろに組み、遠くを眺めていた。彼がそうしている日は、なんとか店の外に出たくて、掃き掃除をしたり、ビラ配りに出たりする。そのうち顔を合わせば言葉を交わすようになり、彼が長崎出身であること、芸能活動を目指してバイクで上京してきたこと、アイスクリームが好きなことを知った。もちろん私はアイスクリーム屋だから、アイスの差し入れをしたことは、言うまでもない。

そんなある日、そこから信号を渡ってすぐのユニクロに、王子の何倍も大きいポスターを見つけた。それを見上げる私は、夢を叶えつつある彼を誇りに思う反面、自分のような人間が話しかけてもいいとは思えなくなってしまった。彼の前を通らないように、反対側から遠回りをして出勤する日々。このままではいけないような気がした。

それから約10年後、私は本屋の店員になり、人生を懸ける勢いで仕事に打ち込んでいた。そして、そんな日々のご褒美のように、「王子」と再会を果たす。自店で開催した作家のトークイベントに、ゲストとして彼が登壇したのだ。お互い、本が好きだなんて、ちっとも知らなかった。また会えるなんて、思ってもみなかった。劇団EXILEの一員になっていた王子は、隣のアイスクリーム屋を覚えていてくれていた。もう私の人生、今日で「上がり」だろうか。

しかし話はその先もある。その再会の場で、彼は小説を書いていることを打ち明けてくれた。小説。私は今、それを売る仕事をしている。その本が出版されるまで、必ず売場にいなければ、と思った。そしてこの7月、王子は約束通り本を書き上げた。タイトルは『一年で、一番君に遠い日。』故郷の長崎で体験したのかもしれない、友人とのかけがえのないエピソードが、土地の言葉のまま綴られている。もう彼は「王子」ではなく、「作家・秋山真太郎」だ。

どうやら憧れの男性とは、仕事で繋がる運命らしい。それもまた、素敵な人生だ。私は仕事が好きである。

※これは2019年7月14日 西日本新聞 随筆喫茶に掲載されたエッセイです

王子と新井

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